人間の本能・習性についてと意味より楽しさを求めようという話

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こんにちは。

早速、人間の本能・習性について調べてみたのですが、思った以上に調べ方が難しいですね(苦笑)。

というのも、本能とか習性というキーワードで調べると、どうしても心理学的な話になってしまうのです。

人間はこういうものを欲しがる傾向にあるだとか、こんな欲求を持っているだとか。

もちろんそれも本能・習性の一面ではあると思うのですが、クモが巣を作るような、セミが飛び立つような、そういう「教えられてないのに何故だかやっちゃうこと」みたいなのとは違いますよね。

 

ただ、癖みたいなものはあったりするでしょうか。

例えば僕で言うならば、幼少期の頃から中学生くらいまでにかけて、布をいじいじするのが好きでした(笑)。

言葉で説明するのは難しいのですが、布と布をこすり合わせる感触が何故だか好きだったのです。

何故だかはわからない。

し、それを初めてやったとき、どうしてやろうと思ったのか。

たまたまこすってみて、何故だか気持ちが良いと感じるから続けていたのか、今となっては自分ですら説明のしようがありません。

 

そういう癖、「くせ」と言ってもいいし「へき」と言ってもいいでしょう、そういうことはあるのかと思います。

でもそれが人間としての動物的な習性とはやっぱり違いますよね。

癖と言うくらいですから、個人的な趣味ですものね。

 

セミやクモのその習性は、生きるための本能ですが、人間にも生きるための本能があるのかどうか、と考えると少し見えてくるでしょうか。

生きるためには何をしなければならないでしょう。

 

歩くこと?

でも二本足で立つ意味はなさそうです。

仮にサルに育てられたら、基本は四速歩行になるのではないでしょうか。

それこそ、おとぎ話ではありますが、ゴリラに育てられたターザンのように。

 

いや、そもそも動物には昆虫のような習性ってもしかしてないのかもしれません。

前回例えた「オスの犬が用を足すとき足を上げるのは不可思議だ」という話で言うならば、そうすることをわんちゃんが知っているのではなく、それよりもまず「縄張りを主張したい」という感情が先にあるのだと思います。

つまり、こうしたい、こうでありたいという欲求です。

これは確かに人間にもあるものです。

で、その欲求を満たすにはどうしたらいいだろうか?と考えると、なるほど、より高い位置で排尿することが望ましいということになるのかな。

 

でも、においで自分を表現する、というのは動物的な本能か。

 

うーん、なんだかよくわからなくなってきましたね。

 

うん。

 

元も子もないことを言えば、確かめようもないし、仮にそれを知ったところでなんなんだ、って話にもなるので、一旦この考えは保留にすることにします。

もっと動物の生態とかについて詳しくなったら、また改めて考えてみようかな。

あとは人間の育ち方の特殊な事例とか、そういう話を得ることができたら。

 

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ところで、話は打って変わりますが、今「それを知ったところでなんなんだ」と言いましたが、強いてその理由を挙げるならば、個人的な趣味です。

意味があるかどうかは二の次で、気になったのだから仕方がない。

ピアノを弾くのも個人的な趣味で、そこに明確な意味があるのかと言ったら今のところはないんだけれど、楽しいから弾いているのです。

 

ただ、今は「意味がない」と思ってたとしても、いつかどこかのタイミングで役立つこともあったりします。

ピアノで言うならば、いつかどこかのタイミングで披露する機会があって、そこから何かに繋がる可能性はあります。

し、音楽的なセンスに繋がり、今度何かを作曲するにあたって、様々な恩恵を感じることもあるでしょう。

 

人間の本能に関しても、何かを説明するときにその話を例えるかもしれないし、その習性を通して見えてくる人間像みたいなものもあるかもしれない。

 

あるかもしれないし、ないかもしれない。

それは最終的にどうなるかはわからないんだけれど、それを言ったら「意味がある」と思われたことすら意味がない可能性もあるので、結局のところはどっちかわからない。

結局どっちかわからないなら、うだうだ考えず、楽しいと思うことを黙ってやるのみです。

 

意外と多いのではないでしょうか、こんなこと意味あるのかな?とよぎってしまって、好きなことをやらなくなってしまう人って。

 

そもそも意味があるとかないとかって主観です。

自分は意味がないと思ってたことも、誰かにとっては素晴らしいことかもしれない(もちろん逆もある)。

自分はなんとも思っていなかったことで感謝されることもあるかもしれない。

そう考えると、自分の中で意味があるかないかを考えるよりも、まず自分がやりたいかどうかを考えることが大事なのだと思います。

そしてそれを表現できるのなら表現しよう。

後は世界が必要としてるかどうかを判断してくれる。

 

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ということを、僕も自分に言い聞かせています(笑)。

ついついネガティブに考えてしまうので。

実際、意味があるのかどうかを考えて、何度このブログも方向性を変えたかわかりませんからね(笑)。

 

今はそんなようなことを自分に言い聞かせて、無事続けることができています。

一旦意味は考えないで、まずは自分が成長できる環境を作ろうと考えて、今はそれを愚直にこなしているような状況です。

後は、1年後とかにどうなってるか今から楽しみだなーと、漠然と未来に期待しているという感じです。

 

その1年後に何をするのかとかは考えても意味がないですからね。

あくまでも漠然と。

 

そこから何をするのかは1年後の自分が決めればいい。

きっと今より頭良くなってるんでしょうから。

 

頼んだぞ、自分。

 

ではでは今日はこんなところで。

 

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