続・アホの子はアホになる

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こんにちは。

今日は、ここ最近あることを考えてたので、それを簡単に書き出してみようと思います。

 

何かと言うと

「人間に本能的な活動はあるのだろうか?」

ということです。

例えば、昆虫なんかはいい例かと思います。

セミは誰にも教わっていないのに、時が来れば地上から出て、高いところに登り、脱皮(?)して、空に羽ばたきます。

クモなんかも、誰にも教わっていないのに、何故だか巣を作って獲物を待ちます。

その他もろもろ、特に昆虫系に顕著に見られるこの生き物としての本能、もしくは習性と言ってもいいでしょうか、そういうものが確かにあることがわかります。

 

動物にもありますね。

そもそも僕がこの「本能ってなんだ?」という疑問を持ったのは10年くらい前のことで、オスの犬が後ろ足を上げて用を足しているのを見たときです。

よく見る光景だとは思いますが、ふと「なんで足上げるの?」と思ったのです。

もちろんそれは、小便が足に引っ掛かるからとか、より高いところにマーキングするために、とかいろいろ何かしらの理由は考えられるのでしょうが、どうしてそうすることを犬は知っているのでしょうか。

彼等は教わってもいないのに、何故だかそうするべきだと本能が言っているのを感じ取って、あのような所作をするのだと思います。

 

さて、話は戻ります。

人間にそういう本能性、あるいは「人間」という生き物として持った習性みたいなものってあるのでしょうか。

僕達は生き方を良くも悪くも大人に教わってしまうので、それを確かめる術がありません。

まさか赤子を放置するわけにもいきませんからね(というか生き延びられない)。

 

という、とりあえず現段階はここまで考えていて、これからいろいろ調べてみようという段階でした。

 

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ただ、少し話は逸れるのですが、そういったことを考えていると、オオカミに育てられたという2人の女の子、アマラとカマラを思い出します。

1920年インドで発見された、文字通りのオオカミ少女です。

残念ながらこれは創作が含まれていると結論付けされた、信憑性のかなり薄い事例になってはしまいましたが、いろいろ想像が膨らみます。

 

例えば、犬に育てられた猫は自分を犬だと思ってる、という話もありますし、犬に育てられたヒツジが犬のように走る動画もあったりします。

とりわけ人間は知能も適応能力も高いですから、育てられたものにどれだけ影響されるかというのは計り知れないと思います。

 

それこそ、大人になったら絶対音感が身に付けられないのは、子供のうちに耳の機能を発達させる必要があるからです。

大人になってからネイティブのように英語を発音できないのも、同じ理由からです。

これらに求められるのは周波数の聞き分けで、その訓練が幼少期の頃から必要であり、大人になってからは獲得できない能力と言われています。

 

反対にネガティブな例もあります。

ここ最近、日本は、というか地球は随分と暑くなってしまいましたが、そうすると夏場は冷房をがんがん使うと思います。

でも幼少期のうちから冷房ががんがんに効いた部屋にいると、子供は汗をかきません。

汗をかかないと汗腺が育たず、大人になってから上手く汗をかけなくなってしまうのだそうです。

 

つまり、必要だと感じられる能力に対しては積極的に発達し、必要だと感じられない能力は切り捨てられる傾向にある、というわけです。

僕達人間は同じように生まれながらにして、この成長過程で結構な違いを見せてることになります。

じゃあその時期にオオカミに育てられたら?クマに育てられたら?ライオンに育てられたら?

もちろんそんなことはありえない、到底不可能なことだということは重々承知ですが、でもそういう側面を持ち合わせた赤子の適応能力というのは目を見張る物があり、まさに無限の可能性を感じます。

 

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さて、更に話は逸れるのですが、ともすると、ともするとですよ、僕の言う

「アホの子はアホになる」

という主張は、より確かなものであると感じられました。

と言うのも、別の角度から見た裏付けとも言えると思うのです。

 

子供が幼少期の環境に適応するのならば、その一番身近な存在である親の態度というのは、特に重要になると言えるでしょう。

 

要するに、僕達は同じ種類の人間ですから、生き物としての見た目は同じです。

だけれども、悩の発達具合が違うのだとしたら、人によってそれは、サル同然の人間に育てられるのか、より高尚な人間に育てられるのか、というくらいの違いが出る可能性があります。

自分が今どっち側であるかというのは、人それぞれ尺度も違うし、判断は難しいところではあると思いますが、少なくともどっちでありたいかというのはわかると思います。

常々言っていますが、僕はよりレベルの高い人間でありたいと思う側です。

 

「レベル」とか言うとまたいやらしい表現に思われるかもしれませんが、これは「RPGのキャラのレベル」くらいのニュアンスで感じてもらえたらと思います。

僕達はこの広い宇宙の地球というステージに住む「人間」というキャラです。

そのまま故郷を出ずに、低レベルのまま過ごすことも可能ですが、町を出て、敵を倒してレベル上げすることも可能です。

多少痛い思いもするし、辛かったり面倒臭いこともあるでしょうが、その見返りとして経験値が手に入ります。

経験値はすぐには成長に繋がらないのですが、ある一定値を超えると突然レベルアップします。

 

この「突然レベルアップ」という感覚は、実はゲームに限った話ではなく、実体験として起こりえます。

恐らくスポーツや楽器など、何かに集中して取り組んだことのある人は感覚的にわかると思うのですが、徐々に上手くなるんじゃないんですよね。

上手くいかない日々が続いて続いて、続いた先である日パッとできるようになったりする。

これはゲームのレベルアップに非常に近い感覚があります。

 

一般的には「成長曲線」とも言われたりしますかね。

最初はなだらかで、急にポンと上がるやつ。

上がったらまたしばらくなだらかで、また急にポンと上がる。

そんな感じのやつ。

 

それはともかく、そんなように仮に僕達人間にレベルがあるのだとしたら、レベル1に育てられるのとレベル100に育てられるのとでは、当然育ち方が変わってくるでしょう。

ともすると、子を思うならばやっぱり大人の自分もレベル上げするべきだろう、と改めて思いました。

 

そして自分も育って楽しい。

まさに一石二鳥です。

 

ではまた明日。

 

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