一つのことを考えるということ

一つのことを考えるということ

こんにちは。

今日もピアノを弾いてました。

まだまだ時間が掛かると思ってた例の『星降る峡谷』だったんですが、意外と繰り返しが多かったので、思ったよりは早くさらえそう。

ただ、繰り返しとはまた別に、似たようなフレーズなのに微妙に違う、みたいなところがあったりして、そこらへん混乱中。

さっさと進めてるだけに余計にこんがらがります。

 

もしかしたらこれは先を急ぐことの弊害かもしれないなーと思いました。

映画とかも、数観ようとしてさっさと次に進みたくなることってあると思うのですが、1つの映画のことをじっくり考えるには、次を観る前によくよく考える必要があるように思います。

 

丁度ツイッターで話題に出した『夜のピクニック』という小説でも同じようなことを言っていました。

時間が区切られてるから余計な思考をしなくても済む、そうやって社会は上手く作られてる、的な。

反対に「歩行祭」みたいな、延々と同じ行為をすることによって長く思考を巡らせる、というような機会はほとんどない。

そんなような話があったのですが、似たようなものを感じました。

 

ちなみに「歩行祭」とは、何時間もただただひたすら歩き続けるという学校行事です。

 

それで言うと、ぼくは今ピアノに関しては先を急いでいる。

それで確かに進みは早いんだけれど、濃密さと言いますか、深く楽譜を読み込むということをしていなかったので、覚え方がおぼろげになっている。

だから、一旦少し落ち着いて、丁寧に進めていくべきだろうなと思いました。

 

ピアノに限った話ではなく、人生を長い目で見てもそうなのかもしれません。

ぼくは多趣味だから、ピアノを弾いたらギターを弾きたくなるし、ギターを弾いたら歌を歌いたくなる。

そうではなくても本を読むし、本は本でも小説だったり、英語の本だったり、啓発的な本だったりでいろいろです。

アニメも観れば、映画も観るし、お笑いとかもちょこちょこ観る。

そうやって頭の中に、ぼくという人間を形成する要素がいくつも交じり合っているのだけれど、最近は少し急ぎ気味かもしれません。

あれもしなくちゃ、これもしなくちゃって。

 

丁寧に、まるで人生の「歩行祭」を敢行するかのように、一つの道を一歩一歩踏み進めていくのも良かろうと。

そうすることによって考え得ることもあるだろうなーと思いました。