楽しい会話に混ざりたい

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こんにちは。

僕は、誰かと誰かの会話に割って入るのが苦手です。

例えばその話題が僕の好きな映画の話であったとしても、その二人が楽しそうに話していれば話しているほどに、僕なんかが入って良いものではないように思うのです。

きっとそこで話は完結していて、空気は完成していて、それ以上は特に求めておらず、なんならしっかり楽しいものなんだから、僕が入って更に楽しい気持ちが溢れるなんてことがあるわけもなかろうなどと、卑屈ながらも思ったりするのです。

 

その辺り、他の人はどんな風にお考えなのでしょうか。

構わず突っ込みますか。

それとも僕みたいに引っ込みますか。

 

思えば小学生の時なんかは、「え!?なになに!?」って強引に突っ込んでいったりしたものでしたが、大人になるということは空気を読むということなのでしょうか。

空気を読むことが大人ということなのでしょうか。

 

本当はもっと自分を出しても良いものであると思いながらも、でもそれによって大人になりながら人様に嫌に思われたくないとも思ったり。

でもその「嫌に思われたくない」という思いこそが、他ならぬ幼き心とでも言うのでしょうか。

大人ならば大人として、立派な大人であるならば、少しくらいの嫌に思われる気持ちは受け入れつつ、でも踏み込み過ぎず、丁度良い距離感というものを模索して、より一層大人として空気を読んでいく(読むんか

 

 

「僕なんかが加わったところで」という気持ちの他に、もう一つ懸念があります。

何かと言うと、「え?今の話し聞いてたの?キモ」という反応です。

いや、そんな反応はされたことはない(と思いたい)んですが、もしかしたらそんな風に思われてしまうかもしれない。

二人だけの会話として成り立っていたその話題がね、よもやお前に聞かれていたとは!なんて思われてしまうようなことがあっては、僕は一生立ち直れない。

申し訳なくて、次に生まれてくるときはミジンコであってほしい。

 

だから、聞こえているけれど聞こえないふりをして、でも耳だけはダンボのようにでっかくしてて、「あ、あ、あ」とかカオナシみたいに機会を伺っている。

 

でもそれを相手方は知らないだけなのであって、どっち道聞いているのであれば、僕の来世はミジンコです、どうもすみません。

ミジンコとして、あなたの目に映らないほどに小さく縮こまりながら、あなたの知らないところであなたの会話を今日も聞く(より怖い

 

へへっ。

 

とかなんとか、卑屈を極めて考えてはしまうけれど、冷静に論理的に考えれば、きっと僕が入っていって嬉しいパターンというのもあるのでしょうね。

今日聞いた会話なんて「『スター・ウォーズ』観たことある?」「この気持ちを誰かと分かち合いたい!」って(僕の知らない人が)言っていたものですからね、その気持ちを恐らく僕は共有できたはずなんですよ。

僕なんかと会話が盛り上がるかは果たしてわからないけれど、とりあえずその場には「『スター・ウォーズ』を観ている人」というのは僕しかいなかったのだから、その条件を満たして会話ができるのは僕以外にいない。

であるならば、少しばかり、いや、思い切って勇気を振り絞って「ぼ、ぼぼぼ、僕も観ました!」って名乗り出ていれば、もしかしたらその人と親友になっていたかもしれない。

 

親友になるとどうなりますか?

そうですね、相手にとって僕も親友になります。

要するに、僕にとって嬉しいだけに留まらず、相手にとっても嬉しくなる可能性がある。

 

卑屈に考えればいくらでも卑に屈することはできますが、冷静に考えればこうやってポジティブな結果も期待できる。

あとはそのポジティブをどれくらい信じて飛び込めるかということになると思うのですが、今の僕にはちょびっとばかり難しいかもしれません。

 

明日もきっと、僕はダンボ耳のカオナシです。

 

あ、あ、あ。

 

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