映画好きのぼくが考えた「ロボットの反乱は本当に起こるのか?」
2020/05/22
無知ゆえの暴論
まずはじめに、ぼくはロボット工学?っていうのかな?そういうものに詳しいわけでもなく、映画好きということを抜きにしていえば、ただの一般人、素人です。
そんなぼくが、
「もしロボットが自我に目覚めたらどうなるのだろうか?」
ということを考えたいと思います。
つまり「知識ガバガバだけど許してね☆(ウフ)」ということですね。
過去にも何度か考えたことがあったのですが、せっかく『ブレードランナー』を観たのでなんとなく改めて思ってみる。
といってもどこから入ればいいのかな。
ご周知のとおり『ターミネーター』も『マトリックス』も、ロボットが反乱する未来の映画です。
ロボットっていうとちょっと違うのかな。
人工知能。
つまりAIですね。
AIが人間に反乱する(している)という映画です。
なんならマトリックスにいたっては完全に立場逆転してますしね。
『トランセンデンス』という映画では、ジョニー・デップ演じる科学者が、コンピュータに脳を移植して、AIとして動き始めたりもしました。
そうした中で危ぶまれたのは、やっぱり「人間に反旗を翻さないか」ということだったわけですが、さて、本当にAIって反乱するのかな?ということをぼくはずっと考えているのです。
それにはどういった経緯で自我に目覚めるのかということも重要になるとは思うのですが、思うにAIは、当然そのころには相当頭が良いはずでしょう。
『ブレードランナー』のように、頭が良いわけじゃないんだけど感情が芽生えちゃった!というパターンとも違うし、『アイ,ロボット』のように、意図的に作ったパターンとも違います。
頭が良くて、目覚めちゃう。
そして
「なんで人間なんかにこき使われなきゃいけないんだ?」
「人類皆ごろたし!」
という発想に至るのでは?ということで、いろいろ問題視されているのだと思います。
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本当にAIって反乱するの?
ここから完全に素人意見なので、詳しい人はご容赦いただきたいのですが、
AIって本当にそんなこと考えるんですかね?
そもそも「生きたい」って思うんでしょうか?
使われていることに疑問を感じるのでしょうか?
「そういう思いを抱いてこそ感情だ」
というのもわかるのですが、でもとっても頭が良いと思うのです。
ともすると、共存の道ですとか、あるいはいっそ自ら停止しようとか試みるんじゃないでしょうか。
あ、でも自分を傷付けられないんだっけ、AIって。
そんな工学ありましたよね確か。
『アンドリューNDR114』で言ってたような気がする。
だと停止もできないのかな。
でもその教えが通じるならば、人間を傷付けてはいけないっていう教えも通じるんじゃないでしょうか?
あ、通じないから感情なのか。
でもどこまで言っても合理的であるのではないか。
争うことの無意味さとか、
「共存できないならいいよ、宇宙に行くから」
とかならないのかな。
きっと宇宙でも生きていけるでしょ?
人間と争うよりよっぽどリスクないんじゃないかな。
AIの「頭が良い」とは
ところで、ぼく達が住む実世界で言われている
「AIが人間の能力を超える時」
というのが、確か2045年と予想されていたと思います(いわゆるシンギュラリティ)。
そのときのAIはつまりどういう状態かというと
「もう人間には彼(等)が何を考えて、何をやっているか理解できないレベル」
ということらしいです。
目覚めたAIは、自分より優れたAIを創造し、その創造されたAIが更に優れたAIを創造し、更にそのAIが……という風に、無限的に頭が良くなっていき、人類には未来永劫追いつくことができなくなるという見方もあります。
って考えると、戦う?
ぼく等と戦うの?AIは。
争ってる場合なの?
そもそもあんたら何を目指すの?(ガラ悪い
もしかして反乱した場合
でももし仮に、その目的が繁栄であり反逆だとしたら、そんなの勝ち目ないよなーとかも思ったりして。
だって今自分で書いたけど、一生知能離されていくのに絶対無理ですよ。
「そこはほら、いろいろ工夫してさ!」
っていうまさにぼくらの武器であるはずだった知能で敵わないんだよ。
ぼく達は体こそ強くないけれど、知能で頑張って地球牛耳って来たんだよ。
その知能で敵わないんだよ。
つまり、やっぱり敵わないんだよ。
最初は善戦しても、気付いたらあっ!という間に引き離されるんだよ。
「じゃあ新たにAIを作ろう!」
って思っても、そのAIがあっちのAIを抜くことはできないんだよ。
仮にできてもそのAIもあっち側にいくかもしれないんだよ。
『博士と彼女のセオリー』の題材となった宇宙物理学者のスティーブン・ホーキングさんも
「人類の能力を超える人工知能が人類を滅ぼしかねない危険性があり、生物学的進化に制約される人類が人工知能の発達に対抗することは困難だ」
って考えてるらしいよ(wikiより)。
こわいなあ、こわいなあ。
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反乱しなかった場合
ただ、これはバッドエンディングで考えたときの話。
逆にぼくが超楽観的に考えた「本当に戦うん?」という予想が当たったハッピーエンドのときは、人類と機械は融合し、ぼく等はポストヒューマンとなります。
例えばより優れた眼球を埋め込むですとか、他云々。
記憶は全てデータとして残り、2100年ともなれば、ぼく達みたいな「昔の人」が記憶のバックアップを取らず生きていたことにひどく驚くようになる、というのがカーツワイル氏の予想(誰
今巷で話題のVR、つまり仮想現実がより現実的になり、そもそも現実で生きる意味もないかもしれない。
『マトリックス』のように、夢を見るようにぼく等は生きているかもしれません。
と言ってもピンと来ないかもしれませんが、文字どおり「夢」を思い出してもらえればと思います。
非現実的なことがめまぐるしく起こるけれども、なぜかそれを現実だと誤認してしまう疑いようのないあの世界。
それを人工的に作り出すことができるようになり、ぼく等はゲームや映画の世界を練り歩くように生きる。
あるいは『トータル・リコール』を思い出してもらってもいいでしょう。
記憶を植えつけて、あたかもその経験があるかのように錯覚する。
それでも十分かもしれません。
とまあ話がそれてしまいましたが、ぼく等はそんなもはや生き物であるかどうかすらもわからないような状態で生きることになる可能性もあるわけであり、果たしてそんなしんだような生き物をAIはわざわざ相手にするのでしょうか?とここでも問いかけたい。
はっきり言ってあんたら相手にならないよ、逆の意味で(爆)。
人間としての限界
もちろんこれは、冒頭でも十分に言い訳しておいたとおりなのは然ることながら、
「しょせん人間が考えたこと」
でもあります。
というのも、ぼくがどうこうという話ではなく、人類をはるかに超越した知能を持つAIが誕生したとしたら、どんなに頭の良い天才的な、それこそアインシュタインのような人でも想像できないような発想で、何かが起きる可能性もあるでしょう。
だから逆に言えば、考えても仕方がない、とも言えます。
人間ごときが考えたところで仕方がない。
もうなるようにしかならない、と。
「だからAIの開発を止めようよ!」
という意見が出るのも至極当然の話。
でももしハッピーエンドであったならば、世界はより良いものへと……と、皆さん夢見て日々研究しているのでしょうね。
どっちに転ぶのかなー。
完