『宇宙より遠い場所』に習う奇跡の起こし方

最近『宇宙よりも遠い場所』というアニメを観ていたのですが、一つ思うことがあったので備忘録的に書いておこうと思います。
あらすじ
宇宙よりも遠い、とは、日本から見た南極大陸のことです。
主人公(女子高生)はある日
「(とある理由で)どうしても南極大陸に行きたい」
という子と出会います。
主人公は常日頃から「自分の人生こんなんでいいのかなー」みたいに、どこか味気ない人生に悩みを抱えていたので、南極に行きたいなどと言う子に興味・関心を抱き、自分もその子と一緒に南極を目指すことにします。
しかしながら、当然女子高生が簡単に南極に行くことはできません。
金銭的な問題だったり、制約だったりがある(らしい)からです。
でも諦めきれない。
諦めきれないから、あれこれ作戦を立てて実行に移す。
でも結局上手く行かず、作戦は頓挫する。
と思われたのだけれど、その作戦の途中、とある女の子に出会います。
その女の子は女優で、なんでも南極に行くロケがあるんだとか。
でもその子は南極なんかに行きたくないと言います。
そして主人公達に言うのです。
「代わりに南極に行ってくれない?」
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『宇宙よりも遠い場所』に習う奇跡の起こし方
こんなとんとん拍子があっていいのだろうか。
こんな奇跡的なことが普通に起こっていいのだろうか。
と最初は思ったのです。
最初だけ。
でもすぐに
「違うか」
とも思いました。
何が違うかというと、
「奇跡は起こるものではない、起こすもの」
だからです。
んー我ながらなんてクサい言葉なんだ(笑)。
でも本当にそう思うんです。
というのも、主人公達がちょうど南極に行く予定のある女の子に会うというのは確かに都合が良過ぎて、一お話としては少し無理があるようにも感じられますが、主人公達が実際に南極に行く為の努力をしたという事実も忘れてはいけない点です。
つまり、主人公達が「南極に行きたい」という思いをいくら募らせたところで、実際に行く為に何かしらの行動に移さないことには、なーんにも始まらないのです。
当たり前だけど。
でも主人公達は動いた。
そして、偶然そこに彼女がいた。
それは確かに偶然だけれど、偶然に出合う為に主人公達は確かに動いたのです。
当然、動かなければその偶然すら掴み取れなかったでしょう。
来るタイミングに備えること
人生というのは何事もタイミングだと思います。
狙ったことは起きずとも、狙わなかったことが起きたりします。
あのときこうしてたら違う結果になってただろうなーということが、誰にでも一つや二つどころか、三つや四つあることでしょう。
小さな違いが大きな変化を起こすこともあるでしょう。
それを実際に起こすのは自分自身なのだから、その来る変化の境目に備えて、自分が今思う最善を尽くすことが何より大事なのだと思います。
その結果、何か努力をしたところで何も起こらないかもしれない。
でも、何かが起こるかもしれないね。
そこから先は誰にもわからないことだけれど、やれることがあるならやれるだけのことをやっておく。
それはそれで意義のあることだとぼくは思いますから、そこで仮に何も起こらなくたって構わない。
経験となって、結局自分の為になると思うからです。
それで何か素敵な変化が起こるのであれば、それはもちろん大歓迎。
結果にばかりフォーカスするのではなく、行動することにもちゃんとフォーカスする。
これが人生をいくらかでも良くするために必要なことなのかな、と『宇宙より遠い場所』を観て思ったのでした。
完
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