より良い人生を送るために踏み出す一日一歩の行く先
サミュエル・スマイルズさんの『自助論』という本を読んでいました。
その中に「政治とは国民のレベルが反映されているに過ぎない」みたいなことが書かれていました。
要するに、その政治を作るのもその国民達なのだから、その国民のレベルによって政治そのものが左右されるだろう、と。
仮に理想的な政治をしようと思っても、国民達自身がどこかで折り合いが付かなくなって、結局理想の政治とやらも国民のレベルに落ちてくる、みたいな話です。
なるほどなーと思いながら読んでいたのですが、そうか、ともすると一個人にとってもそうかもしれないな、と思いました。
というのも、その個人の意識と言いますか、志と言いますか、生き方が立派とされるものであればあるほどに、その人から生み出される何たるかというのもまた、おおむね立派なものになるのかもしれないな、と。
反対に、堕落した生活をしているような人がいくら頑張ったところで、その人から生み出されるものは堕落さが反映されて生まれてくるのかもしれない。
そういえば、ゲーム会社コナミの音ゲーを専門に作詞作曲している人に『あさき』という方がいますが、彼もまた同じようなことをインタビューで答えているのを聞いたことがあります。
「僕自身が格好良く生きなければ、生み出される音楽も格好良くならないと思うんです。それは誰かに見られている、見られていないに関わらず」
というような話です。
理想を掲げるのは簡単ですし、目標を作るのも簡単ですし、夢を見るのも簡単です。
だけれども、それを実現するだけの努力ができるのか、そこに至るだけの器であるのかどうなのか、実はそういう根本的で本質的な部分で人間性みたいなものが問われるのかもしれません。
頑張る必要があるのなら、頑張るだけの土台が必要なのかもしれません。
つまり、もし思い描く理想像みたいなものがあるのなら、それが普通の状態であるように、自分の習慣みたいなものをそのレベルに持って行くことをまずしなければならないのではないでしょうか。
「明日やろうはバカヤロウ」なんて言葉もあるとおり、今から変わってやろうという気概が必要なのかもしれません。
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急には意識は変わらないだろうから、少しずつ変化を起こしていく。
急にレベル99になる裏技は人生にはないのだから、愚直に経験値を積んでいく。
毎日の習慣がその人となりを作り出すのだろうから、その習慣が良いものであればあるほどに、出来上がる自分っていうのもより良いものになるのだと思います。
この場合の「良い」はあくまでも主観的なものだけれど、少なくとも自分だけでも「良い」と思うことが大事かと思います。
「これでいいのだ」って思えることが大事だと思います。
「今のままじゃダメだよな」って思いながら毎日を繰り返したのでは、きっといつまで経っても「今のままじゃダメだよな」です。
一歩一歩、一つひとつでいいから、今よりも良いものになるように、今日よりも明日の自分が少しで良いものであれるように変化を起こし続ければ、きっと理想に近付くことができるのでしょう。
一日一歩なら、百日百歩です。
その一歩は死ぬまで続けることができるのだから、きっと僕等はどこにだって行けるんだ。
そう思ったら、一歩踏み出さないわけにいかないですね。
きっとそれが人生の幸福への道だから。
ノシ