どうして勉強するのか
2020/05/19
今日、早速職場の子にお勉強してるところを見付かってしまって、聞かれました。
「え?なんの勉強してるんですか?」
なんの勉強、というのは、内容云々ではなく、ニュアンスとしては
「なんの為に勉強してるんですか?」
というようなものでした。
さて、困ったぞと。
前に兄にも同じことを聞かれたのでしたが、これを一言で言うのは大変難しいです。
というのも、考えれば理由はいくつでもあるので、これ!っていう風には答えられないからです。
もし仮に受験やら何やらがあればこれ!があるわけですが、そういうものもないし。
仮にそれが語学の勉強であるならば、海外旅行したいから!とかっていう理由が出てくるものでしょうが、そういうこととも違う。
それを踏まえた上で、あえて勉強する理由を簡単に言葉にするならば
「その方が人生が楽しくなると思うから」
となるでしょうか。
でも、例えば僕みたいに読書してる人に
「なんの為に勉強してるの?」
と聞いたときに
「え?その方が人生楽しくなるじゃん」
なんて答えが返ってきた日には、気取りが過ぎて、聞いた方が恥ずかしくなってしまうことでしょう。
実際今書いててちょっと恥ずかしいですもん(爆)。
でも僕は確かにそう思っている。
けれど、僕自身、その言葉が相手の心に響かないであろうことを知っています。
いやそういうことじゃなくてー(苦笑)ってなると思うんです。
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「勉強」っていう言葉もいけないんだと思います。
というのも、多くの人って「勉強」という言葉にネガティブなイメージがあると思うんです。
義務教育をはじめとした授業だとか、試験・受験勉強のイメージが強いでしょうからです。
でも僕が思う本来の勉強の目的は、大きく広い意味での「世界」を知って、その中で自分はどう生きていくかというのを考える為にするものだと思っています。
世界っていうのは地理的な意味でもそうだし、歴史的な意味でもそうだし、知識的な意味でもそうだし、哲学的な意味でもそうだし、倫理的な意味でも、社会的にも、文化的にも、娯楽、趣味、その他諸々全てを含んでいます。
そうやって自分の中の世界を広げることによって、楽しめる領域が広がると思うんです。
少なくとも僕はそういう感覚がある。
自分が興味を持ったことを勉強することによって、自分の扱える領域が増えて、増えて増えて、「知っている」という分野がどんどん増えていく。
「知っている」というのは、知識的にも知恵的にもです。
そうやってグググッと広げる営み自体も楽しいものですし、振り返ったときに「おぉ!広い!」と思える感覚も楽しいのです。
過去にも何度か書いていますが、義務教育の勉強スタイルには懐疑的で、また授業を受けたいとは全く思わないけれど、自分が思う勉強を進めるのはこんなにも楽しいんだなーと大人になって思います。
もちろん、自分勝手にやりますから偏りは出てきます。
ある程度偏りが出ることは仕方がない、とは思っていますが、でもその辺りもなるだけ意識的に広げたいなーとも思っています。
例えば戦争映画を観て戦争について調べたときに、今度はじゃあその戦争の引き金となった時代背景みたいなことにも興味が向きます。
その興味から更に派生的に広がっていって、興味の世界は尽きることがないんだということがわかります。
それを意識的に自ずと感じ取って、どんどん広げていきたいのです。
でもそれが学校教育だとできないじゃないですか。
それが嫌なんですよね。
偏らない、けれど、深くもない。
小中高と年を重ねるごとに深みは出てきますが、そのペースを他人に縛られる必要はないだろうと思うわけです。
進みたいなら進めばいいし、進みたくないなら今は進まなくてもいい。
いつか興味が湧いたらまた改めてチャレンジすればいい。
まあ子供の教育の話は置いておいて、なんにせよ僕達大人は子供と違って誰かに縛られてはいません。
だから、好きなだけ好きな方向に行けるわけです。
そのことを知ってからの勉強はとても楽しくて、こんなに知的な遊びがあったのかと思いました。
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「んな大袈裟な(笑)」
と思う人もいるかもしれませんが、実生活で行ける領域で考えるとわかりやすいかもしれません。
例えばどこかの島に住んでいて、その島からは出たことがない、という人と、世界のどこにでも行けて、大体何がどこにあるかを知っている、という人とでは世界の見方が違うでしょう。
島とは言わずとも、町に縛られてる人もいるでしょう。
都道府県単位、あるいは国単位かもしれない。
なんにせよ、誰にでもそういう生きる領域というものがあって、その中の価値観で生きていると思います。
でもどこまでも行けて、どこにでも遊びに行けるとしたら、もっともっと楽しいことがあるかもしれない。
楽しいことだけじゃなく、悲しく辛いこともあるかもしれない。
悲しく辛いことは避けたいけれど、世界を知るというのはそういうことであり、それだからこそいろいろな人の気持ちがわかったりするようになるのだと思います。
井の中の蛙、なんて言葉もありますが、世界に飛び出してみるとこんなにも世界は広いのかということがよくわかるように、それが「知」でもあるんじゃないか、というわけです。
確かに井の中の蛙も生きているように、勉強しなくたって生きられます。
けれど、勉強をすると今よりどうやら楽しくなりそうだ、という感覚が僕にはあるのです。
だから、誰になんと言われようとも、僕はずっともっと勉強していきたいと思います。
ちなみに、その一環としてブログを書いているつもりです。
いわゆるアウトプットは大事ですからね。
少なくとも今日、勉強についてまた深められたわけだし。
それもまた楽しい。
でも今日はこの辺で。
ちなみに昨日のバーベキューはとても楽しかったです。
持つべきものは友ですね。
ノシ
完