ブログの方向性とブログに掛ける思い

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というわけでありまして、早速何かを書いていこうかと思うのですが、最初に断っておきたいことがあります。

何かと言うと、内容が完全に思い付きなので、ネタが被ることがあると思います。

ネタというか、発想というか、要するに同じこと言ってることがよくあるかもしれません。

できるだけ新鮮なものを書こうと努めはしますが、どうしても被ると思います。

もしそういうものを見掛けたら温かい目で見守っていてください。

 

昨日に書いたことも、多分僕の文章を長く読んでくださってる人が中にいるとしたら、もう聞き馴染みの言葉だったかと思います。

「もう聞き馴染みの言葉だったかも」という言葉すらも、聞き馴染みかもしれませんね。

僕の中の文章に対する思いというのはあまり変わっていませんので、多分大体同じこと言っているはずです。

耳にタコができたらすみません。

 

しかしながら、僕のことをまだよく知らない人にとっては新しい言葉だったでしょう。

それが僕の中でジレンマになっていた面もあります。

というのも、もう誰かにとっては聞き馴染みのことも、誰かにとっては知らないことだし、誰かにとっては知らないことも、誰かにとっては知っていることです。

 

僕が昔、高校生のときに書いていたブログが、何故あんなにも楽しく思い付きで文章を書けていたかと言えば、それは読んでる人が大体身内だったからです。

厳密にはもっと知らない人とかも読んでいたんですけれど、僕の脳内では完全に身内が浮かんでいたのです。

だから彼等が知っている言葉で、彼等が知っているように語り、彼等を楽しませるために書いていたと言っても過言ではないでしょう。

そういう前提となる設定とでも言いましょうか、そういうものがあることによってスムーズに話に入れるわけですね。

例えば僕は映画が好きだけれど、僕が映画好きということを知らない人も想定すると

「僕って映画が好きなんですけれどね」

という説明から入らなければなりません。

でも僕のことを知っている人にとってはうるさい話で、いいから本題に入ってよ、ってなもんだと思うわけです。

 

そういう感じで、説明が1から10まであるときに、どこからどこまで話せばいいのかというのは、僕の中でかなり重みになっていたんだな、ということが最近わかりました。

というのも、今プライベートで書いてる文章は、正直こっちと違って気兼ねなく楽しく書いているからです。

それは僕のことをリアルに知ってる人しか読んでいないものだから、僕もそれを前提に、なんならリアルで起きた出来事をネタにして書けるわけです。

 

でもこういうそういう前提が見当たらない場所の場合、たちまち何を書いていいかわからなくなってしまったのでした。

少なくともこのブログにおける目的だとか、コンセプトだとか、そういった類のものを設定して、それに向けて情報発信するのが、いわゆるブロガーという立場の人達が採用しているスタイルだと思うのだけれど、僕はそういうものが何も思い浮かばなかったのでした。

考えはしたけれど、どれもしっくり来なかったのでした。

 

強いて今、その考えた中で一番しっくり来たものを挙げるならば、それは「頭を良くしたい」みたいな、非常にざっくりとしたものになるでしょうか。

何個か前にも「頭の良さは料理みたいなものだ」という話をしましたが、材料を得ることと調理することを同時に行いたいのです。

大体例えばほら、本を読んだって内容を忘れる人がほとんどだと思うのです。

僕も覚えてるものもあるけれど、結構忘れがちです。

最近『夢をかなえるゾウ』っていう自己啓発に近い小説、いや小説に近い自己啓発の本が「Kindle Unlimited」に無料で配信されていたので読んでみたのですが、凄く良かったんですよね。

内容も面白いし、それでいて為にもなる。

良いことも言ってるし、読む人が読めば人生変わる予感のする本でした。

 

けれど、今この場でじゃあ何を言っていたか話せ、と言われても、パッとは出てこないというのが正直なところです。

せっかく読んで、せっかく良い感じのことを言ってる風に思ったにも関わらず、結局その内容を覚えていなかったら読んだ意味がない。

要するにアウトプットを怠ったばかりに、内容が定着しなかったのです。

「結構良かった」「結構面白かった」

そんなような感想を残して、内容はどこかに飛んでいってしまったのです。

 

もちろんわざわざアウトプットしなくても内容をとてもよく覚えられるという賢い方もいらっしゃるとは思いますが、僕は決してそうではない。

ただ読んだだけでは内容を忘れてしまうので、ちゃんと文章を書くなり誰かに話すなりしてアウトプットしなければ覚えていられないのです。

 

だから、そういう学んだことをこのブログに書いていきたいと思うんだけれど、そうすることに対してこれまでは強い抵抗感がありました。

どうしてかというと、どこぞの誰ともわからぬやつが学んだことをぶつくさ書いてたところで誰も面白くないだろうと、勝手に思っていたからです。

知ってる人からしたら「は?知ってるし」「そんなことも知らなかったの?」「良いことでもなんでもないわ」みたいな感じになるんじゃないかと、大変悲観的に思っていたからです。

だし、知識やら情報を今更僕が書いたところで、それはもう全部ウェブ上に落ちてるものだろうと思えて、意味を見出せなかったのでした。

 

そんなような思いを拭い去る発想が、何を隠そう「日記」だったりします。

このブログを日記と銘打ってしまえば、それが誰かにとって当たり前だろうと、どこかに同じようなことが書いてあろうと関係ないだろうと思えたのです。

そしてその内容が確かにどこかに落ちてるのだとしても、ここに落としておくことにも意味があります。

というのも、例えばこのブログが日本だとします(唐突

で、僕はアメリカで知識を得たとします。

さて、その知識は確かにアメリカにあるんだけれど、わざわざアメリカにみんなが行くかと言ったら、それはまた別の話です。

面倒臭くて行かなかったりします。

だったら、僕がアメリカで得た知識を日本で広めたらいい。

そんなようなもので、全部ウィキペディアに書いてあるようなことを僕が仮に書いたとしても、みんながみんなウィキペディアを利用するわけじゃないし、わざわざ検索するのは面倒臭いけれど誰かが話してるのを聞くのは好き、みたいな人もいると思います。

その「誰か」に僕がなればいいじゃないか、なんていう発想です。

ここに僕なりのウィキペディアができたら面白いなーと思います。

 

そういうような思いを、今人知れず持っています。

何か特別なテーマみたいなものは掲げていないんだけれど、強いて言うなら「みんなで頭を良くしていこう!」なんていう、聞く人が聞けば引くほどに意識の高い内容になるでしょうか。

究極を言えば、知らないことをなくしたいですね。

それはもちろん絶対に不可能なんだけれど、その絶対に届かない頂を目指して進んでいこうなんていう、非常に高尚な思いを掲げたい。

 

で、前にも書いたけれど、それは知識に限った話ではなく、例えば「観てない映画」というのをなくしたい、みたいな思いもまた同じです。

ある意味ではそれも「知識」ではあるでしょうが、その映画の感想は絶対にウィキペディアに載らないことですからね。

僕なりの、僕だけにしかできない、知識やら情報やら思いやらをいっぱいに載せた唯一無二のブログになるかと思います。

少なくともそうしていくつもりです。

 

もし興味がありましたら、引き続きお読みになっていただけたらと思います。

そうしたらこの上ないほどの幸いです。

 

連日、見苦しいところもお見せしましたが、これから益々精進しますので、なにとぞよろしくお願いいたします。

 

なんて言っていたら3000文字を超えてしまいました。

こんなに長く書くつもりはなかったのだけれど、やっぱり書けば書くんですね。

 

とりあえずこの投稿はこの辺で。

また言いたいこと思い付いたら追い追い書きます。

 

ではでは。

 

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