僕はきっと文章を読んでもらいたい

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こんにちは。

文章を書く、ということについてまた少し考えていたんだけれど、文章を書くのが好きっていうのは一体どういう状況なんだろう?という風に思いました。

というのも、文章を書くのが好きならただ一人でメモ帳にでも書いてればいいじゃん、って話になってしまいます。

でももちろんそういうことに面白味を感じることはないように思えて、ともすると、きっと僕は文章を書くのが好きなんじゃなくて、文章を人様に読んでもらうことが好きなんだろうなーと思いました。

 

例えば料理好きがいるとして、その料理好きっていうのにも大きく分けて2つのタイプがいて、1つが料理を作ること自体が好きな人、もう1つが料理を人に食べてもらうことが好きな人です。

それで言うと僕は完全に後者のタイプで、僕は文章を人に読んでもらいたいのだなーということに気が付きました。

仮に前者であるならば、一人で独り言をぶつくさ書くだけでも面白いように思えるんだろうし、そういう人はきっと小説家とかになるんじゃないかな。

でも僕はそういう欲求は持っていなくて、美味しいであろう料理を作って、それを誰かに食べてもらうことに喜びを感じるタイプの人間なんだな、ということに気が付いたのです。

 

きっとどんな分野であろうとも、両者のタイプがいるのではないでしょうか。

音楽だったり、絵だったり、写真だったり。

好きでやっている人と、誰かを楽しませたい人と。

 

意外と人って自分のことがわからないものだ、ということもよく聞きますが、本当にそうだなーと思います。

そうやって深堀をして、また一つ自分のことを知れたというのも、こうやって文章をまた書こうと思ったことによるものだとしたら、なおさら書き続けるべきだろうなーと思うばかりです。

 

基本的には確かに誰かに読んでもらう前提で書くものだけれど、文章にはそれよりもずっと前に自分との対話があります。

自分で今まさに書きながらにして、本当にそうなのかな?という自問自答が入る。

それで納得がいくのならその文章はそのままになるし、もし「やっぱり違うな」と思ったら、仮に数百文字書いたものだとしても全部消します。

 

こうかな?こうじゃないのかな?違ったな、でもこうではあったな、あーしかしこうであったのか。

などなどと考えながら書くのは、自分の内面と向き合いながら文章を書くようなものです。

そうやって文字が連なり、文章となった自分の考えと対話して、お互いが納得いったとき初めてそれは人様に届けられるものになるわけです。

 

それでまた一つ、このタイミングで気付いたのですが、僕は人様に美味しい料理を食べてもらいたいタイプの人間である、ということは今ここではっきりさせましたが、そう、「美味しい料理」を食べていただきたいのです。

だから多分、僕は「美味しい料理」を作りたくて、それに至らない段階では食べてほしくないのだと思います。

サクサクッと作った不味い不出来なものをうっかり提供してしまったとして、「うーんちょっと微妙だな(苦笑)」だなんて思ってほしくない。

この人の料理はこんなもんか、だなんて思ってほしくない。

ちゃんと準備した、ちゃんとした料理を、ちゃんと作って、ちゃんと食べていただきたい。

そんなような思いがきっとあるから、僕は文章を書くのに少し腰が重たくなってしまったのかもしれません。

 

つまり、思い付きでテキトーなものは提供したくないと、そんな風に思っているのだと思います。

 

じゃあ果たして、今まさに書いているこの文章はそんな立派なものであるのだろうか?という風に考えると、全然そんなことはないですね。

きっと冷蔵庫の余り物で作られたような、大変簡単な、本当に思い付きによる料理みたいなものだと思います。

 

じゃあそれでいいのか?それを今こうして公開してもいいのか?というと、今はこれで良いことにします。

昨日も書いたけど、あんまり高級料理店のコース料理みたいなものを振舞おうとするのも身の丈に合わないと言いますか、実力以上のものを求め過ぎと言いますか、全然練習していないくせに理想だけは一丁前に語る夢見がち野郎Cチームとでも言いましょうか(一人だけど)、このままだとそんなようなものになってしまう。

きっと理想に辿り着くには泥臭さが必要で、僕はもうすでにその泥臭くなるほどの努力を済ませた気になっていたのかもしれません。

無意識に。

 

だから、準備のない文章を書いて読んでもらうのは、今となっては少し恥ずかしく思う面もあるのだけれど、この際恥も外聞もなしに、今は泥にまみれよ、ってなもんだろうと、そんな風に思います。

読んでほしい気持ちと、読んでほしくない気持ちとのジレンマを抱えながら、思いを切って読んでもらうことにします。

 

それにこうは言いながらも、テキトーだからこそ生まれる奇跡的な料理が出来上がる可能性もあるだろうともどこかで思ってて、またその良い意味でのテキトーさを取り戻したい気持ちも少しあります。

それこそ高校生のときに書いてたような、思い付きだからこそポンポン出てくる変なような表現だったり言葉だったりを今は失ってしまったような感覚があるから、その発想が僕のどこに隠れてしまったのかを探りたい。

きっと鳴りを潜めているだけなんだと思う。

だって僕は僕だから。

 

またダンベルおじさんの話とかしたい(誰

 

そのテキトーさと、今の「美味しい料理作りたい願望」が上手いこと交じり合ったなら、なんだかまた一つ上の段に上がった文章が書けるような気がする。

今はまだ気だけだけども。

 

うん。

 

じゃあ今日はこんなところかな。

また明日。

 

ノシ

 

続(完じゃなくて続にすることにした)

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