映画が好きが故に、映画を観たくない気持ち

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こんにちは。

僕は恐らくほとんどの人と同じように、好きな映画を何度も繰り返し観たりするタイプです。

と言っても、マニアのように10回20回を平気で繰り返すほどの情熱はないのだけれど、時間さえ許すのであれば何度も何度も観たいと思っています。

それは当然、好きが故、です。

 

しかしながら、好きが故に情報も集めてしまいます。

例えば、このシーンはこんな風に撮られたんだ、だとか、このシーンにはこんなミスがあるんだ、だとか、そういう撮影の裏側みたいな話です。

そういう話自体は大好きなので、どんどんどんどん調べてしまうのですが、悲しいかな、調べれば調べるほどに映画にのめり込めなくなっていくことに気が付きます。

 

というのも、その好きな映画を最初に観たとき、大体映画に入り込んでいます。

次はどんな展開が待っているか全く予想できず、ハラハラドキドキしながらキャラクター達の生き様を見守ります。

その生き様に感動したならば大満足、この映画は実に良い出来であった、みたいな風に落ち着き、また観たいな、という純粋な気持ちが胸いっぱいに広がりまくりんぐです。

 

しかし、そんな純粋な気持ちが胸いっぱいに広がりまくりんぐしたばかりに、またその映画を観てしまうのですが、今度は冷静な目で映画を観てしまいます。

それ自体が悪いことだとは思わないけれど、最初のあの感動はどこに行ってしまったんだろうか、なんて思うことはよくあるのも事実です。

そういう「ファーストインパクト」とも言える初体験は、最初にしか味わえない、最初なのに最後の体験でもあり、一生味わえない大事な感覚のように僕は感じています(だから映画の予告も一切見ない)。

 

でもその感動体験がもう一度したくで繰り返して観るわけですが、そうすると最初には気付かなかった粗みたいなものが見えてしまったりもします。

それは撮影的なものだったり、お話的なものであったり。

どんどんと胸いっぱいに広がっていた純粋な気持ちは失われ、良くも悪くも現実的になっていきます。

 

そこに更に、先に書いた「情報」が上乗せされるわけです。

ともすると、「映画の世界に入り込む」という体験から「映画を(客観的に)観る」という鑑賞になっていく。

 

好きが故に繰り返しちゃうし、好きが故に調べちゃう。

知れば知るほどに、映画体験は映画鑑賞になっていく。

 

ジレンマです。

僕は映画が好きだけれど、映画を観過ぎたくない気持ちも確かにある。

 

ファーストインパクトは限られています。

もちろん新しく素晴らしい映画も日々作られているわけですが、過去の作品で評価の高い映画には限りがあります。

最近『ジョーズ』を初めて観たわけですが、あれは最高の初体験でした。

でも多分もう1回観たとしても、もうあの感覚は味わえない。

どこか冷静でいて、ロボットのサメをロボットとして見てしまうような気がするのです。

 

そういう有名な人気の映画を全部観てみたいという気持ちがありながらにして、その自分の中の「まだ観ぬ名作」がどんどんとなくなっていくのも少し寂しいのです。

 

でも観たい。

 

贅沢な悩みです。

 

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