はてな、芸術の心ってなんだろう。

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昨日、映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の感想を書いたわけですが、改めて読み直してみて思ったことがあったので書こうと思います。

 

昨日は無意識の内に

「映画としてのお話ではない」

というようなことを書きました。

 

でもよくよく考えると、映画らしさってなんなんだろうなーと、自分で思いました。

 

というのも、僕の中に僕が思う映画らしさっていうものがあるし、一般的に映画ファンに求められる映画らしさもあります。

でもじゃあそれは誰が決めたんだろうなーと思ったのです。

 

アカデミー賞で諸々受賞するような作品って、本当によくできていて、面白くって、考えさせられて、芸術的で、とにかく観ただけで「凄い」っていう何かが伝わってくるんです。

圧倒的な何かしらがあるんです。

それはお話の質だったり、音響だったり、映像だったり、もっと別の何かだったり。

 

でもそのことが「良い」という風に、誰が定義したんだろうか、という風に思ったわけです。

僕もその方がいいと思ってるし、多くの映画ファンもそういう風に思っているだろうけれど、一般層には求められてない重さみたいなものがそこにはあるというのも事実で。

 

ともすると、それって本当にそれでいいのかなーなんて。

重いのがいいのかなーって。

 

例えば今回の「鬼滅の刃」にしても、もっとこうしたらまとまりのある面白いお話になってたと思うんだけどなーという僕なりのアイディアってあるけれど、じゃあそれが本当に「更に良いものになるか」ということはわからない。

確かにそれで面白くなるかもしれない。

でも面白くなることが良いことなのかしら、ということは誰にも言えないんじゃないか。

面白いというか、より映画らしさとされる作りになって、芸術性もちょっとばかし増して、更に感動的なドラマになったとする。

でもそれが「良い」って誰が決めるんだろうか。

一般的にはもともとのお話の方が求められるのではないだろうか。

 

ともすると、大衆に認められたらそれが正解でしょうか。

じゃあ今の鬼滅の刃のあり方は正解でしょうか。

 

でも僕はあの映画のお話は、映画としては正解じゃないと思ってるけれど、でもじゃあその正解じゃないっていう気持ちってなんなんでしょうね。

 

芸術って何よ。

面白いって何よ。

映画らしさって何よ。

誰が決めたのよ。

って自分で思うのです。

 

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どうして人は芸術を感じるのでしょうか。

どうして芸術を感じる人は、同じ部分で芸術を感じるのでしょうか。

どうして「こうあってほしい」というものが共通してあるのでしょうか。

 

より多くの人に求められるのがもし仮に芸術の正解であるならば、一般大衆的なものが一番芸術とされるはずなんだけれど、どうもそうはなっていない。

ともすると、やっぱり芸術というのは一般大衆には理解できないものなのでしょうか。

理解できないことが芸術なんでしょうか。

じゃあその芸術の基準ってどこで生まれてきて、どこから生まれていくものなのでしょうか。

 

はてな。

 

芸術ってなんだろう。

芸術の心ってなんだろう。

 

凡庸な僕にはおよそわからないことだけれど、確かにはっきりと、心で感じている感覚はある。

その心は人間誰しもが持ちえるものであり、共通したものであるのかというと、それもちょっとよくわからない。

 

でも少なくとも、芸術性を求めてる人はおおむね同じ方向を向いている、ように思う。

 

心って不思議よね。

 

ノシ

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