『がんばれゴエモン〜ネオ桃山幕府のおどり〜』で思い出して
2020/11/01
忘れないうちにこのゲームについても書いておきましょう。
『がんばれゴエモン〜ネオ桃山幕府のおどり〜』
です。
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ゴエモンとぼく
ゴエモンシリーズは幼稚園の頃から馴染みがあり、ぼくもシリーズのうちの一つくらい欲しいなーと常々思っていたところ、同じ歳の従兄弟がこのゲームを買ったのでした。
ぼくん家はそもそもNINTENDO64(以下64)を持っていたなかったので、羨ましさはそこからスタートしています。
ぼくも64が欲しい、上に、ゴエモンのゲームだとー!?って。
でも従兄弟がこのゲームを買ったときは、まだカートリッジ?っていうのかな?あのセーブ機能を果たす、PSで言うところのメモリーカード的なものをまだ持っていなかったようでした。
だからせっかくゴエモンをプレイしてもセーブができない。
ぼくはそんな中やらせてもらったのですが、その従兄弟の弟と二人で長時間プレイしていたことをよく覚えています。
ぼくの兄二人と従兄弟は外に遊びに行ったりしていたのに、ぼくと従兄弟の弟はそのゲームにかぶりつく。
そして外から帰ってきた兄に「やり過ぎだ」と怒られる。
そんな思い出のあるゲームです。
どっち道セーブができないから、全部なかったことになるんですけどね、それでもぼくはとにかく楽しくやり続けたのでした。
セーブができないのにやる心
そういえばポケモンを持っていなかったから、兄のポケモンを「セーブしないから!」という条件付でよくプレイしたこともありました。
セーブしないからせっかく育てても誰も何も残らないんだけれど、ぼくは毎回ヒトカゲを選んで、リザードまで育てて、タケシで最高に苦戦するのでした。
セーブしないのに、必ずヒトカゲ。
絶対タケシで苦戦するのに、必ずヒトカゲ。
男の子ってそういうところあるわよね(誰
ちなみに最長でカスミまで行きました。
でも消すっていう。
話が逸れてしまいましたが、ゴエモンもそんなような気持ちでやっていました。
セーブができないとかそんなの関係ない、面白いからただやるんだ!っていう精神ですね。
今のぼくにもそういうところ、少しは見習ったほしいと思います。
時には意味を求めずやってみる
というのも、大人になるとなのか、それとも打算的になるとなのかわかりませんが、何か意味がないといろいろ勿体無い気がしてしまうのです。
時間だったり労力だったり。
でも自分の本能にももう少し耳を傾けて、自分のやりたいことを後先考えずにやってみるということも、時には大事なんじゃないかなーと思うわけです。
もちろん先を考えて、効率良く生きることもとっても大事なことだけれど、時には頭空っぽにしてのめりこむのも悪くはないのではないだろうか、と。
「大人になると「RPGやってる時間がない」と言う」
という話をぼくはよくしますが、これはいろいろ考えてしまうからなんだと思うんですね。
まあ面倒臭くなってしまうっていうのもあると思うんですが、それ以上に意味を求めてしまう。
例えば小学生のときとかって10分が凄く長かったです。
10分の休み時間があれば自由帳を広げてみんなでワイワイやっていたと思います。
もちろんそこにゲーム機があったら、10分だからと言って腐らず意気揚々とゲームをしていたと思います。
そして結局あんまり進まなくたって構わない。
ゲームをプレイしたこと自体が楽しいのでありました。
もっと具体的な話をしますと、ぼくの家では親のしつけ上、ゲームを1日30分区切りの3回しかできませんでした(計1時間半)。
30分ですよ?30分。
30分で何ができる?とか大人になると考えちゃいますでしょう。
でも子供の頃はなーーーーーーんにも考えていなかった。
なんならその30分がとっても長く感じていたくらいです。
もちろん「ずっとやっていたい」という気持ちで言えば30分は短いんですが、でもそれでもいくらでもやれることが感覚的にはあったのでした。
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進まないこともあったでしょう。
道に迷って終わったこともあったでしょう。
レベル上げをして、25分後にゲームオーバーになって最初からになったこともあったでしょう。
それでも子供は腐らずやるものです。
そんな無鉄砲さを時には思い出したい。
やってダメだったときのこととか考えない、あの若さ溢れる勢いを残しておきたい。
そんなことを『がんばれゴエモン〜ネオ桃山幕府のおどり〜』を大人になってプレイして、思うのでした。
一応、ゲームの解説というか感想みたいなものを書こうと思っていたのですが、とんだ与太話になってしまいましたね。
これもまたよしとして、終わりにしたいと思います。
ノシ
完