『変身』を読んで「人」を考える

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僕は普段あまり小説を手に取らないのですが(2019.7.10現在)、隙あらば読みたいとは思っています。

というのも、いろいろ読んでみたいという気持ちはありながら、映画と違って小説界隈の知識が全くないので、どれを取っていいのかわからないのです。

それで二の足を踏むことが多いのですが、今回『変身(東野圭吾)』という小説を後輩に薦めてもらったので、読むに至りました。

 

変身 / 東野圭吾

 

内容はサスペンス。

事件に巻き込まれた主人公は脳に損傷を負い、部分的に脳の移植手術を受ける。

手術は成功し、何事もなく生活できるかと思いきや、鏡の自分を見て他人に思えたり、好きだったものが好きではなくなったり、興味のなかったものに興味を持つようになり、酷く違和感を覚える。

自分は一体どうなってしまったんだ?

みたいな感じの内容です。

 

お察しの通り、その移植された脳の影響を少しずつ受けるわけですが、何しろ前例がないので、科学的にどうなのか、本当にそういうことが起こりえるのか。

つまり、他人の脳を移植した場合、その「他人」の影響を受けるものなのか、というのは実際のところはわかりませんが、非常に興味深い内容でした。

 

作中にも少し問いかけがあるのですが、もし仮にその「他人」に意識が支配されるようなことがあったとしたら、それは一体誰なのでしょう?

主人公の顔をしながら心は他人という場合、それは誰なのでしょう。

Aさんの顔にBさんの脳だったらば、それはAさん?それともBさん?

 

恐らく人によって解釈は違うでしょうが、もし仮に見た目を重視するのであれば、整形をするということは、他人になるとも言えるのかもしれません。

あるいは反対に、心を重視するのであれば、何か大きく重大な出来事があったとして、そのとき心も大きく変化を起こしたならば、それはある意味他人になったと言えるのかもしれません。

 

客観的な答えはないのかもしれませんが、おおむね、そして僕個人の意見としても、重要なのは後者かなーと思います。

というのも、よく「あなたは変わった」みたいなセリフがドラマとかであると思うのですが、それは見た目で判断されることではないと思います。

ほとんどの場合、というかほぼ間違いなく内面の話です。

仮に見た目が「変わった」ということであったとしても、それは内面の変化による影響を受けた見た目の変化でしょう。

心が変わるから、着飾り方も変わるものかと思います。

 

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とは言え、もし仮に家族や友人、恋人の顔面が全く別物になったとしたら、それはそれで戸惑いを隠せない。

心がそのままで、言動がそのままであったとしても、それはきっと奇妙な光景になるであろうことは、想像に難くない。

 

それだけ僕達人間は、無自覚的に、けれど確実に大きく視覚情報に影響を受けていると思うのです。

仮に愛しのあの子の心が僕の兄に宿ったとして、やっぱり兄の見た目では愛せないと思うの。

どれだけ中身がサムであったとしても、見た目がオダ=メイでは、普通感情移入はできないと思うの。

 

心だけでもダメだし、見た目だけでもダメ。

考えてみれば当たり前のことだけれど、その人がその人であるということには、心と体が一緒になっていないとダメなんだということがよくわかりました。

 

しかしながら、僕達は基本的に脳の移植手術なんて受けないけれど、生き方によって意図的に脳を変化させることはできると思います。

というより、自ずと変化するものかと思います。

それが良い方か、それとも悪い方かというのは、繰り返しになりますが生き方によるところなのでしょう。

ともすると、いくらでも人は変われるものであり、自分次第でどうとでもなるとも思えてきます。

他の誰かに意識を侵略されるのは真っ平ごめんだけれど、望む姿があるのであれば、それに向かって突き進みたいですね。

 

僕は僕でありながら、より僕らしい僕を目指す。

 

素敵やん?

 


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