人生に「十分」なんてあるのかな?

この記事は1分で読めます

ぐっもーにん。

昨日観た映画『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』のマゴリアムおじさんがこんなセリフを言います。

 

「十分生きた」

 

この言葉を聞いた時に「十分ってなんだろう」と思いました。

仮に僕が明日死ぬとしたら十分なことをやったと言えるのかな。

というと、言えないんですね。

もっといろいろやりたいことがあるし、やれるようになりたいこともある。

 

じゃあ仮に余命が1年とかだったらどうだろう。

その間に自分にとっての「十分」は達成できるのだろうか。

 

じゃあそれが2年だったら?

3年だったら?

 

あるいは70年だったら?

 

そうやって考えると何をもって「十分」と言えるのかがわからないことに気付きました。

 

そして仮にその自分にとっての「十分」が明確になって、余命以内にそれを成し遂げることができたのなら、そこから先は空虚になるのかしら。

その人生は本当に幸せなのかな。

 

僕達人間に「十分」なんてないのではないでしょうか。

もちろん文脈次第ですし、お腹が一杯で「もう十分」なんてことはいくらでもあるだろうけれど、生きる上ではないのかもしれないなーと。

そうやって不十分を感じながら「あーもう少しだけ生きていたかったなー」なんて、現世を名残惜しく思いながら死んでいく。

 

のかな?

 

ん?

 

あれ?

 

じゃあ仮に死ぬことができない体だったら?

不老不死だったら?

何をするの?

 

僕達に何かを成し遂げるという感覚はあるのでしょうか。

今も十分と言えば十分と言えるような気もするし、まだまだ全然さらさら足らないとも言える。

 

うーん。

 

なんだかよくわからなくなってきてしまいました。

もう少し考えてみようと思います。

 

今日のは単なる独り言。

 

ノシ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

スポンサーリンク

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

カテゴリー