カメラの撮影技術の本を読んで芸術の面白さを理解する
2020/05/19
最近、趣味が高じてカメラの撮影技術に関する本を買ったのですが、こんなようなことが書かれていました。
「失敗写真かどうかは、周りではなく自分が決める」
なるほど。
というのも、例えば動いている物を撮ったときに、写真がブレている場合とブレていない場合があると思います。
この時、撮った自分自身は「躍動感を出すために」とあえてブレさせるつもりで撮ったとします。
それが見事ブレているのであれば成功写真と言えるし、ブレていなかったらそれは失敗写真です。
でも反対に、動いている物体を綺麗に収めたいと思ったのだとしたら、ブレは失敗だし、綺麗なら成功です。
という感じで、自分がどういう写真を撮りたいと思って撮ったかによって、成功か失敗かが変わる。
単純にブレが良いとか悪いとかっていう話ではない、というわけですね。
だけれども、思ったのです。
それを見た人がどう受け取るかは別問題だよな、と。
というのも、仮にブレている写真を撮った場合、単純にブレが気になる人が見たのであれば、その人は「なんだこの人の写真、ヘタクソだな」と思うかもしれません。
あるいはブレさせるつもりじゃなかったのに、失敗してブレてしまったとしても、見た人がブレに躍動感を感じ「なるほど、この人は動きを大事にしてるんだな」と感心することもあるでしょう。
要するに、多くの人にとって撮り手がどんな思いで撮ったかは関係がなく、見た人は見たいように見るとも言えます。
で、これは何も写真だけに留まらず、映画にも、音楽にも言えることだよな、と僕は思いました。
作り手がどんな思いで作っているかは最終的にわからない。
何かおかしな部分があったとしても、それは意図的かもしれない。
あるいは何か意味あり気なことが、実は単なるミスかもしれない。
それらが実際のところどうであるかは果たしてわからないけれど、その裏となる作り手の心みたいなものを読むことが、芸術をたしなむ上で大事なことなのではないかと思いました。
あんまり造詣が深くない人は、表面的な部分をそのまま受け取り、そのまま判断してしまうと思いますが、作り手の気持ちになって考えてみると見えてくることもあるのでしょう。
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だから、前々から「映画にはいろいろな見方がある」と僕は思ったり言ったりしてきましたが、改めてそれを別の考え方で深く理解することができました。
写真で言えば、綺麗であることを見せたいのか、それともブレていることを見せたいのかでは、楽しみ方が違うように。
映画も、興奮してほしいのか、いろいろなことを考えてほしいのかということでは、作り方も見せ方も変わってくるでしょう。
音楽にしてみても、昔、ファイナルファンタジーシリーズの音楽でお馴染みの植松伸夫さんがおっしゃっていました。
「音楽はジャンルによって聴き方がある」「なんでも楽しめる」
大変ありがたい言葉であるなーと思うと同時に、それもまた映画にも写真にも言えることなのだろうなーと思います。
絵とか、小説とかも。
見たいように見るんじゃなくて、表現者の気持ちを考えてみる。
そうやって触れてみると、楽しめる幅はグッと広がるように思います。
そして、芸術ってどこまで楽しめるように思えました。
奥深く、難しいけれど、その分だけ面白い。
完