子供が抱く期待のない未来による上がらない幸福度

この記事は4分で読めます

お晩です。

昨日の話は、朝日新聞に掲載されていた「日本の子の幸福度 健康は1位、「精神」はワースト2位」という記事を読んで発想したものです。

なんで子供の精神的幸福度がワースト2位であの話になったのか、少し補足をしたいと思います。

 

実際のところはわかりません。

今の子供達がどんなような環境で毎日を生きているのかは、子供じゃないのでわかりませんが、少なくとも僕が小中高生のときのことを思い出して、もし彼等も同じように生きているのならば、こんな風なようなことで「精神的幸福度」が低いんじゃなかろうか、という話になります。

 

子供のころって、やりたいことがいっぱいです。

あれもしたいしこれもしたい。

 

大好きなこともいっぱいです。

あれも好きだしこれも好き。

 

だけれども、大人になるにつれて、そういう気持ちがどんどんと薄れてしまって、今となってはなんにもやる気にならない、みたいな大人って少なくないと思います。

 

じゃあなんでそうなってしまうのか。

もちろん「大人になるっていうのはそういうことだ」という風にも片付けられるのかもしれませんが、僕は今の日本の「教育」によるものだと思っています。

 

というのも、基本的に学校というのはやりたいことをやらせてもらえない場所です。

生徒一人ひとりにフォーカスして授業をするなんてことはできませんから、みんなで一斉に同じことをやらざるを得ません。

そうすると、どうしても全然興味のないこともやらされます。

というか、そういう授業がほとんどの子供が多いでしょう。

 

繰り返しますが、子供はやりたいことがいっぱいです。

そしてやりたいことをやってるときが一番成長できます。

 

でもやりたくないことをやってる時間って全然成長しないんです。

これは脳科学的にも確認されてることだそうですが、やりたくないことをやらされてる時間って、本当に脳が成長していないんだそうです。

 

だから子供こそやりたいことをいっぱいやって脳を育てる大事な時期だと思うわけですが、どうもそうさせるわけにもいかないのが「義務教育」というものみたいです。

 

そうやって押さえつけられたまま、あれよあれよという間に中学生です。

小学校と同じ義務教育ですから、大体同じようなものかと思います。

でも中学生になると、高校のことを考えなければなりません。

そうすると、より一層勉強の時間が増えます。

 

じゃあなんで高校に行くのでしょうか。

それは「高校に行くため」です。

「高校に行く」っていうのが目的になっていて、ほとんどの人は「なんで高校に行くのか」は考えられていないと思うんですね(僕もそうでしたが)。

 

高校生になると、ぼちぼち自分のやりたいことを見付け出す人が出てくる頃ですが、なんとなく大学に行く人も実際多いでしょう。

特にやりたいことがあるわけではないけれど、とりあえず大学くらいは行っておくかな、みたいな。

就職までの猶予を延ばす、という発想の子もいるでしょうね。

 

動機はどうあれ、そうすると大学を卒業するまでに、今度は就活を終わらせなければなりません。

いや、厳密にはそんなルールはないと思うんですが、暗黙のルールと言いますか、社会全体の雰囲気と言いますか、そういうものを感じて、みんななんとなく「大学卒業したら就職」という風になるんだと思います(ちなみに「大学卒業=就活」は日本だけに見られる文化らしいです)。

 

それはそれで結構なことだけれど、じゃあそうやって見付けた仕事って、自分のやりたいことだったのかっていうと、大部分の人がそうではないと思います。

「何をするか」ではなく「就職する」ことが目的になっているだろうから。

 

でもまあ就職は就職です。

良かった、正社員になれたし、これでとりあえず安心だな。

 

でも、そこから何を期待できるんだろう?

 

と、ふと過ぎったりすると思います。

前にもどこかで書いたかもしれませんが、もはや生きるのに必要なお金はそんなにいらない時代ですし、贅沢する時代でもない。

仮にそれを求めて頑張ったところで出世するかどうかも怪しいこの時代に、将来に対する期待なんてなんにもないな、なんて気付く人もいるのではないでしょうか。

 

だったらもうあとは毎日を繰り返して、年齢的に結婚して、家建てて、子供産んで、育てて、老後はのんびりするのかな、なんて先々が見えてしまう。

 

ここまではっきりとしたビジョンが見える子供はもちろんいないと思いますが、社会全体に漂う雰囲気はそんなようなものを感じます。

やりたいことをやらせてもらえない子供時代を過ごし、進学するためだけに勉強して、やりたいことがあるわけでもないのになんとなく就職してるんだとしたら、それって将来に期待がなくて当然だと思うんです。

そして社会はその生き方を推奨してくる。

 

その生き方の中で自分なりのやりたいことが見付かった子供っていうのはだからとてもラッキーなんだと思います。

もしくは大人が上手く導いたか、です。

 

もとより子供に「なんで勉強しなくちゃいけないの?」と問われたときに、自分なりの答えを出せる大人ってどれくらいいるんでしょうか。

 

進学の為に勉強したことだって、大半覚えてないんです。

僕は大人だから断言しますが、大半覚えていないんですよ(そもそも大学には行ってないですが)。

大半覚えてない上に、やりたくもないことをやっていたわけだから脳も育ってないんだとしたら、じゃああの時間ってなんだったの?って話です。

だったらその時間使ってやりたいことやってた方が、きっと僕にとっては成長できたんだろうな、って思います。

 

でもその「やりたいことをやる」っていうのが、子供だけだと道を踏み外したりもするだろうから、それを見守ってやるのが大人の仕事なんじゃなかろうか、と僕は思うのです。

ヨチヨチ歩いてるのを、少し手伝ってあげるのが親の役目だと思うんです。

 

一方、僕達大人は、自分で自分の道を歩けるんだから、自分で導いてやらないといけませんね。

 

「やりたいことをやる」のが子供なら、「ありたいようにある」というのが大人の理想です。

子供が「do」なら、大人は「be」を求められる。

結構なことじゃないですか。

 

と、少し脱線しましたが、要するに前回の『未来的幸せ』を考えた時に、その未来に対する期待が見られないようでは、子供の精神的な幸福度は上がらないんじゃないかな、と思ったのでした。

もちろんこれだけじゃなく、いろいろ家庭の事情が変わってきてるだとか、教育の現場が変わってきてる(あるいは変わってない)だとか、他にもいろいろ要因があるとは思いますが、こういう側面もあるのかもしれないな、という話でした。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。