昨日の文章が今日には恥ずかしいけれど明日のために今日も書く

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基本的に、昨日の記事を読み返すと、とても恥ずかしくなります。

じゃあ読むなよって話なんですが、読み返さないと誤字脱字がそのままだったり、前に書いたことをすっかり忘れて同じことを書くこともあったりするので、一応次の日に1回は読み直すようにしています。

そのとき不思議なことに、昨日書いてるときは大変気持ち良く書けてた、あるいは気持ち良くはなくとも、それなりに言いたいことが書けたぞ、といういくらかの達成感を抱いているものなのですが、次の日に落ち着いて読むと顔から火が出るような思いになります。

 

なんでなんでしょうね。

 

例えば「深夜のノリ」みたいなのってあるじゃないですか。

そのノリに任せてふざけたことをした映像が仮に残っていたとしたら、次の日にそれを見たら恥ずかしくなるかもしれません。

でもそれは「ふざけたこと」だからですよね。

 

でも僕が毎日書いてる文章は、そんなにふざけてはないわけですよ。

もしかしたらふざけたこと言ってるように聞こえることもあるのかもしれませんが、本人としては別にふざけて書いてるわけではないのです。

至ってまじめで、読んでくださる方にできるだけ有意義な時間を過ごしてもらおうと思って、それなりに考えて書いています。

 

にもかかわらず、読み直すと恥ずかしいというのはどういうことなのかと。

一生懸命考えて書いたはずなのに、これで間違いはないはずであるという思いで書いていたはずなのに、一体どうして恥ずかしいのでしょう。

 

恥ずかしくなるということは、どこかにしこりがあるということなのでしょうか。

つまり、こんなことが言いたいんじゃないんだ!という思いがあるから恥ずかしくなるのでしょうか。

それともそのときのノリで赤裸々が過ぎてしまって、間違ってはいないんだがよくもまあこんな恥ずかしいことを堂々と書けるもんだな(苦笑)、ということで恥ずかしくなるのでしょうか。

 

「でしょうかって言われても、それは自分にしかわからないことでしょうよ」

と思われてしまうかもしれませんが、僕にもよくわからないのです。

 

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よくはわからないけれど、それで確かなことがあります。

それは、そのときによって感じ方は違うんだ、という事実です。

 

僕は僕の文章にそれを強く感じますが、もしかしたら映画とか音楽とか、そういったものに対しても同じようなことがあるかもしれません。

昨日は確かに良く感じたものであってが、はて、こんなもんだったかしら?みたいに。

 

映画ならば、流石に昨日今日で感想が変わることはそうそうないとは思うけれど、例えば1回観たときに「いやー超良かったなー」と思った映画を、数ヵ月後、DVDとかで観直したりすると「あれ?こんなもんだったっけ?」という感覚になることはよくあります。

恐らくは時間を掛けて「良かった」という思いが強くなっていくことによるギャップが原因だとは思いますが、でもこれもまた「感じ方の変化」にあたるかと思います。

1回目は良かったのに、2回目には良く感じなかった。

そしてその逆もあるでしょう。

更に3回目になるとまた違った感じになるんだ。

 

ともすると、出来物にはきっと完成はないんだと思います。

それがそこにただあるだけではその存在価値はなく、誰かが感動して心動くからこそ意味を成すものかと思います。

作り手と受け手がいるから成り立つものかと思います。

その受け手の感動に変化があるのだとしたらば、その人の中で定まった形はきっとないのでしょうね。

 

もしその評価が不変的なものであるならば、クラシックとして永遠に語り継がれるのかもしれません。

クラシック音楽が一生語り継がれるであろうように、2000年以上前の哲学者の言葉が実際に語り継がれているように。

きっと「人間」という生き物に、本質的に訴えかける何かがあるのだと思います。

 

時代に合わせたものならば、きっとそれは残らない。

でもそれはそれで儚げでありながら、重要な役割があって僕は好きです。

 

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と、話が逸れてしまいましたが、要するに、今の僕は昨日の僕の文章に恥ずかしさを感じるわけですが、それを判断するのはきっと読んでくださる方々それぞれです。

もしかしたら「いやいや、別に普通の文章だったよ」「なんなら面白かったよ」と言ってくださる方もいるかもしれないし、「確かに昨日のは読めたもんじゃない」「よくあんな恥ずかしいこと書けるね」と言う人もいるかもしれない。

そしたらその僕の文章の価値ってどこにあるんだろう。

と考えると、それは読み手の中にあるわけですよね。

じゃあ僕が恥ずかしかろうがなんだろうが、面白かったと思ってくれる人がいるのであれば、その人の中で価値あるものになるのであれば、僕がどうとか関係ないんだろうなーと思いました。

 

であるならば、明日には今日の文章が恥ずかしかったらどうしよう、という一抹の不安がある、というのが正直なところですが、考えるだけ無駄なのでしょうね。

多分何を書いたとしても明日には恥ずかしい。

 

恥ずかしくなりたくないのなら何も書かないことだ。

 

けれども、僕は何かを残したい。

 

じゃあ恥を忍んで書くことにします。

 

というわけで、今日はこんな文章でした。

 

明日読みたくないなー(遠い目)。

でも読まなくちゃなー(遠い目)。

 

ではまた明日。

 

ばいちゃ。

 

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