9.ぼくの我が子に対する思い

9.ぼくの我が子に対する思い

また少しお堅い文体になってきたような気がするので、もう少し気構えとしてユルくいきたいと思います。

こんにちは。

 

と言いながら、今回もまた前回の補足を少しだけしたいと思います。

 

「子供に興味を持たせるのになんでも用意してあげる」

的な話をしましたが、もしかしたら

「それだけで興味持つのかなー」

と疑問を抱いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

ぼくとしても、ただ置いてあるだけでは効果は薄いだろうなーと思っています。

だから、いくらかの働きかけはするべきだろうなーと思います。

例えば楽器だったらば、まず自分が弾いてる姿を見せなくてはいけませんね。

 

ぼくの父も、若い頃にギターを弾いていたらしく、ぼくの家にはアコースティックギターが2本もありました。

し、母が若い頃に弾いていたという(ぼくがピアノ好きになったきっかけの)エレクトーンもありましたね。

だけれども、両親ともそれを演奏している姿をぼくに見せたことはなかったのです。

父がギターを弾いてる姿も見たことないし、母がエレクトーンを弾いてる姿も見たことない。

だから小さい頃ぼくは、どちらにも特に興味を示さなかったのです。

 

(いろいろなところで書いているのですが)そんなぼくがエレクトーン(ピアノ)に興味を持ったのは、一つ上の学年の人が、学校の教室でゲーム『FINAL FANTASY』の曲を弾いていたことがきっかけです。

それを聴いて、ぼくも自分で弾いてみたいと強く思ったのでした。

 

そんな風に、ただそれが置いてあるだけでは多分興味を示さない。

本だって、母が本好きだったので家にいっぱいあったけれど、ぼくは別に読みませんでしたしね。

 

だから、それを使って何をするのか。

それをするとどんな気持ちになるのか。

客観的にはどんな風に映るのか。

子供は人生経験が浅いですから、それを見ただけでは、それが何をするものなのかわからないと思います。

 

それを大人である親が見せてあげる。

そうしたらいくらか興味を持つと思うのです。

 

それでも興味を持たなかったら、誘ってみたらいい。

「やる?」

 

もしかしたら断られるかもしれない。

「いい」

 

そこで無理強いしない。

「そっか」

 

それでもどうしても子供に興味を持ってほしいなら、自分が精一杯楽しむ。

「うひょー!」

 

それが続けば流石に子供も興味が湧くと思うのです。

「ぼく(わたし)もやってみたい!」

 

そうしてからやらせてみたらいい。

「ここをこうこうこう」

 

そうしたら適正か不適正かがわかると思う。

「できた!」「楽しい!」

「ふーん」「ゲームしよ」

 

その繰り返しなのではないでしょうかね、子育てって。

まあ言うのは簡単で、するには難しい話なのでしょうが、難しいからといって投げていいという話にはならないですからね。

 

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ぼくの2番目の兄は、昆虫が大好きでした。

「虫博士」と周りに言われるくらい知識も豊富で、虫捕りが好きで、夏休みの宿題の自由工作はカブトムシの絵でした。

 

ぼくも、というか世の中の男の子は誰でもその道を通る気もするのですが、しかし大人になって虫が気持ち悪いと感じるようになったという人もまた多いと思います。

かく言うぼくも、昔はカブトムシとかカマキリとか見付けては捕まえてましたが、今はぶっちゃけ気持ち悪くて怖いです(爆)。

昔はコオロギとかも捕まえてましたが、今は気持ちが悪いです(ごめんねコオロギさん)。

 

でもぼくの兄は違います。

今でも虫が大好きなのです。

珍しい虫を捕まえては

「捕まえた!超レアじゃない!?」

と報告してきたりします(自分の中で昆虫発見レアレベルが決まっているらしい)。

 

そんな少年のような心を持ちながら大人になった兄を見てぼくは思うのです。

彼が本当に輝ける場所は昆虫界だったのかもしれない、と。

もちろん実際のところはわかりませんが、もしかしたらそうかもしれない。

例えばアマゾンに行って、新種の虫を探すだとか、研究するだとか、そういう道が彼の幸せだった可能性がありますね。

まあ「可能性」の話をしたらキリがないですが、いずれにせよ昔の彼を見て、今の彼を見ると、ぼくはそう感じてやまないのです。

 

だから、彼が子供のうちの両親の働きかけが違ったものであったら、彼の人生は大きく違っていたと思います。

いち早く兄の昆虫性を理解して、例えば世界の昆虫図鑑みたいなものを買い与えたり、博物館的なものに連れて行ったりしたら、彼の目指す道は違っていたかもしれない。

繰り返しになりますが、もちろんこれは結果論です。

結果的にそうであったかもしれないという域を出ませんが、ぼくが親だったらば、そういう可能性を見落とさないようしっかり見ていきたいな、と。

 

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ちなみに余談ですが、

「学校に通わせたくない」

という話を前々回にしたわけですが、じゃあ何を学ばせるのかというところに疑問をお持ちの方もいるでしょう。

 

例えばこのぼくの兄の話で言えば、まず昆虫のことが出てきましたね。

そこから世界の昆虫図鑑の話もしましたが、その分布図を細かく見ることもできると思います。

そうすると世界地図が気になります。

じゃあ海外の国はどんな場所なのか。

どんな気候で、どんな地形で、どんな環境で、そこではどんな昆虫が育つのか。

そういうのを通して世界を学べたら楽しいと思います。

 

そういう話を通して、仮に兄が

「おれアマゾンに行ってみたい!」

と言い出したとします。

そうしたらそこにフォーカスしてもいいし、もしかしたら異国の文化にも強く興味が向くかもしれません。

どうしたら行けるのか、費用はどれくらいなのか、そこで働くことはできるのか、現地語は何なのか。

いろいろ考えることはあるわけですが、それを大人が一緒になって考えてあげられたらいいなと思います。

そしたら学ぶべきことも見えてくる。

 

それが本来の「先生」という立場なのではないでしょうか。

学校の先生は、酷ければ

「いいから(学校の)勉強しなさい」

で終わるでしょうし、良くても、一人一人を丁寧に見ることも難しいでしょうから、親身になってアドバイスしてくれる先生は多くないでしょう(0とは言わないけど)。

そうはならないように、興味を伸ばしてあげたい。

 

ぼくはエレクトーンを毎日楽しく弾いていて、それを見た母親はぼくに「ピアノを習わないか」と聞いたことがあったらしいですが、ぼくは断ったそうです(覚えてない)。

そのことから察するに、ぼくはエレクトーンという楽器が好きだったのではなくて、

「自分の大好きなゲームの大好きな音楽が自分で弾ける」

というところに喜びを感じていたのだと思います。

それが何の楽器でも良かったのだと思います。

現にいくつもの楽譜を自分のお小遣いで買ったわけですが、ぼくの母親は、ぼくにピアノを習わせることではなく、ゲーム音楽の楽譜を余すことなく買ってあげるということを思い付いていたら良かったのかもしれませんね。

それだけでぼくは更に邁進したでしょうから。

 

客観的に気付くのは難しいことですが、できるだけのことはしてあげたい。

それがぼくの我が子に対する思いです。

 

いないけど(爆)。