スマホによって考える時間が短くなった時代に

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こんにちは。

今日は『ダンケルク』という映画を贅沢にIMAXで観てきたのですが、幾度となくSNSがチラついて、ああこれはもう本当に依存症に近いな、と素直に思いました。

近いっていうか、もう「そう」なのかな、どうなんでしょうね。

 

どんな風にチラつくのかというと、何かを思ったときに、それをシェアすることを考えてしまうんです。

例えばTwitterでこう書こうとか、インスタでこう書こうとか。

そうすると、派生して、SNSそのもののことを考えてしまいます。

今はどんな状況だろうかとか、宣伝するくらいはいいんじゃないかとか、あの人は何を書いてるだろうかとか。

 

それが当たり前の人は「それの一体何がダメなの?」と思うかもしれませんが、全然映画に集中できていないことがわかります。

本を読んでてもチラつくし、ギターを弾いててもチラつくし、ご飯を食べててもチラつく。

 

うん。

 

恥ずかしながら、もうこれは依存症だ、素直に今ここで認めよう。

 

前にも書きましたが、僕はリアル(現実)に集中したいのです。

今目の前にある「これ」に集中したい。

それはあるいは「誰」だったりもするでしょう。

 

そうやって考えを深めたい。

 

これは単なる持論ですが、現代人は考える時間がどんどん短くなっていってるのではないでしょうか。

例えば携帯電話がない時代、待ち時間がある時には誰もが物思いにふけっていたと思います。

いろいろなことを一人で考えていたと思います。

あるいはそこから生まれる関係性みたいなものもあったかもしれません。

 

でも今はスッとスマホを取り出して、延々いじっちゃう。

仮に数秒の時間であってもいじっちゃう。

確かに情報を得る分にはいいんだろうけれど、その分考える時間というのはないような気がします。

 

「いや、情報を得ることによって考えることもあるだろ」

と思う人もいるかもしれませんが、確かに一理ある。

一理あるけれど、僕はそれには情報があまりにも多過ぎるような気がします。

 

というのも、処理しきる前に次の情報にいってしまう。

基本的にそこに深みは生まれないと思うのです。

 

それが一昔前ならば、例えば本を読んで得た情報やら知識やら知恵と呼ばれるものを深める時間がある。

待ち時間じゃなくてもいい、移動時間だってそうです。

歩いてたり、走ってたり、自転車をこいでたり、自動車を運転していたり、電車に乗っていたり、バスに乗っていたり、そういう時間にも考えることができました。

でもそうやって無言で物思いにふけっていた時間は、今やどこでもコミュニケーションを取ったり、ゲームをしたり、音楽を聴いたり、動画を見たりする時間になりました。

 

確かにそれで暇にはならない。

暇にはならないが、暇を楽しむ暇がない。

 

そのことに気付いてから、僕はむやみやたらと音楽を聴かなくなりました。

音楽は、作業には向いてるけれど、思考には向かない。

 

たまにはスマホを持たないで外に出てみるのもいいと思います。

そうすると、意外と時間と呼ばれるものが長いことに気が付く。

そうすると、人生はもう少しのんびりでもいいような気になってくる。

 

せかせかと隙間なく生きていると、なんだか心が忙しい。

多分人間の脳では処理しきれないくらいの情報が、日々突っ込まれてるような状況になっているのではないでしょうか。

 

人間って、動物って本来どんな生き物だったっけ。

元々はきっとそんなに1日で得る情報は多くなかったはずで、その情報量を処理することしか想定されていない脳のはずで、そのまま進化もせず僕達人類は繁栄してきたんだと思います。

だから、技術が進歩して、確かに信じられないくらい便利な世の中にはなったけれど、便利過ぎるからこそ(情報量という意味では)人間には適してない時代になったとも言えるのではないでしょうか。

 

もちろん賢い人はその情報をしっかり見極めて、賢く使ってると思うのですが、僕みたいなうっかりさんは、うっかり情報に溺れてしまう。

多分気を付けないと、誰もがそうなっちゃう時代。

 

今や当たり前なものが当たり前なのは当たり前なんだから、全然疑わないでここまで生きてきたけれど、恐らくはヌルッとそうやって人間にはキャパオーバーな時代になったのかな、なんて思います。

そういう少しずつ変化するものって、変化してることに気付かないですからね。

 

くわばらくわばらです。

 

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