子供を生むならちゃんと育てる、育てないなら生まない

子供を生むならちゃんと育てる、育てないなら生まない

ツイッターでチラッと書いたのですが、昨日一人でゲームセンターに行ったら、駐車場の隣の車に女の子が一人で乗っていました。

着いたときは深く考えなかったのですが、ちょっとドラムを叩いて、ちょっとギターを弾いて戻ってきてみたら、まだ女の子が一人でいました。

2歳か3歳くらいかしら。

車はエンジンが付いていて(でも多分鍵は閉まってるんだと思う)、カーナビ的な画面にテレビが流れていました。

 

多分、置き去りだと思うんですね。

で、ゲームセンターの隣が道を一本挟んでパチンコなんですよ。

だから多分、親はパチンカスなんじゃないかなーって。

パチンコの駐車場に止めると多分見回りとか来るから、隣のゲームセンターに車止めた感じなんじゃないかなーと。

 

実に嘆かわしい話であります。

子供は親を選べないだなんてよく言いますが、ぼくんところに生れ落ちてくれたなら精一杯の愛情を注いであげられたのに(爆)。

 

「子育てって大変なんだよ!」

というと

「子育ては大変」

「お前もやってみろ」

「子供が生まれると自分の時間が取れなくなる」

「その辛さをお前は全くわかっていない」

みたいなことを思う親もいると思うのですが、まあ確かに、ぼくもそうなんだと思います。

大変なんだろうなーと思うし、それ相応の覚悟がいるもんであろうとも思います。

 

だからこそ、簡単に作るべきではないでしょう。

ぼくとしては、子育てに関して考えがまとまってないところもありますし、環境の準備も全然できていませんし、もう少し自分の時間を取りたいとも思っています。

だから、まだいいかな、と。

 

それが生まれてくる(であろう)子供に対する誠意かなーと思うのです。

 

逆にそういう覚悟もなしに子供を育てようと思えることの方が不思議。

まあ、覚悟があっても大変なんだよ、と言われたら何も言えませんが。

 

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なんとなかなるとは思う

もちろん、なるようになれ!精神も嫌いではありません。

飛び込んでみたらなんとかなった、という経験が誰にでも一度や二度あると思いますが、子供も生んでみたら意外とちゃんと育てられた、みたいなノリで育ってきた人もきっと少なくないと思うんです。

なんやかんや言われても、人生の終わりとも感じられた絶望があったとしても、なんだかんだぼく達は生きています。

だから、生んだら生んだでなるようになるんだろうなーと思う側面もあるわけです。

もちろん渦中は大変でしょうけれども、振り返ってみるとあっという間だったな、という感じで過ぎていくのだと思います。

 

だし、ぼくの場合、じゃあいつになったら準備ができるの?という話でもあります。

どれくらい考えがまとまれば良しとされるの?

自分の時間をいつまで取るの?

そのことにぼく自身答えはなく、むしろ本当に生むのかすらわからないところがあります。

そういった意味では、思い切ってやっぱり飛び込んでみるのもありなのかなーと思うところもあるのですが、でもまあ、んーまだ違うかな。

というのが今の気持ち。

 

ちなみに、早く生まないと授業参観のときとかお父さんお母さんが老けてて子供がかわいそう、みたいな話も聞いたことがありますが、そんな極小さな問題、考慮に値しない。

だったら、時間をかけて自分の能力高めて、それを小さい頃から受け継がせられるようになってた方がはるかに子供にとって価値があるでしょう、と思う(押し付けるという意味ではない)。

 

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自分にとって子供は本当に必要か

そもそも本当に必要なの?

という問いくらいは、一度立ててみた方がいいと思う。

それで必要に感じたらそうしたらいいし、もしかしたら意外と必要じゃないかもしれないし。

 

「世間の目が……」

という人は、その世間の目のプレッシャーと自分の「本当はいらない」という気持ちを天秤に掛けてみる。

 

最悪なのは

「おれは本当はいらないんだけどさー」

とかグチグチ言いながら子供作ってテキトーに育てること。

 

生むならちゃんと育てる。

育てる気ないなら生まない。

凄く当たり前のことを言ってると思うのだけど、そうではない人もいるようで。