努力したいのに努力できないという人にこんなぼくのお話を

努力したいのに努力できないという人にこんなぼくのお話を

ツイッターでも書きましたが、ぼくはギターを弾くとき、複数の弦を押さえるセーハが苦手だなーと感じていました。

そもそも得意な人なんているのか?という疑問はあるけれど、ぼくの場合、特別苦手だと感じていたのです。

 

その理由が「指の形が悪い」というもの。

これは前にも書きましたね。

「どうやらギターに適した指と適してない指があるみたいだぞ」

みたいなことを。

 

具体的にはこんなような指になっています。

ちょっと極端過ぎたかもしれませんが、とにかくイメージとしてはこんな感じで、第二関節の部分が出っ張っています。

で、第一関節に行く前に少しだけ湾曲しています。

つまり、この部分で弦を押さえるのが厳しいんだ、というのがそのときの話でした。

 

だけれども、ギターを熱心に練習するにあたって、ふと思ったのです。

「本当にそうか?」

と。

本当に弾けない手なんだろうかと。

確かに誰かよりも弾きにくい指なのかもしれないけれど、本当にこの指で弾くことはできないのか?と。

 

そんなことを思い、思いっきり弦に指をめり込ませてみると、これが意外といけたのです。

ちゃんと音が鳴ってくれたのです。

かなり握力使うし、指も痛いけれど、思い返せばそれはギターを弾き始めたときに毎日のように感じていたことでもあります。

でも今は、弾き始めに感じていたような支障は全くない。

ともすると、セーハに関してもいずれは筋力がついて握るのが楽になるし、指の皮も頑強になって痛くなくなるのではないだろうか。

そんなことを夢見て、今は取り組んでいます。

 

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自分の定めた限界

さて、これがぼくの悪いところ。

昔から、ある程度頑張ればいろいろなことができるようになるのだけれど、ある程度頑張った上での壁を感じたら、すぐに諦めていたのです。

中学の部活はバスケだったのですが、部活動以外にもスポーツ少年団なるものにも入っていて、そこそこ努力をしました。

でも部活動とスポ少の練習を経た上での技術は、自分にとっての限界だとどこかで思っていて、例えばぼくより上手な部長を超えてやろう!なんてことは、ただの一度も思ったことはありませんでした(今なら思う)。

 

ピアノも、小学生のときに

「十分指を動かせるようになったぞ!」

という確かな自信があったから(まあ間違いだったんだけど)、その上で弾けない曲は、もう自分にはどうすることもできないんだ、とどこかで諦めていたように思うのです。

 

つまり

「これだけやったのにできないんだから、もうこれは自分にはできないんだろう」

と早々と諦めてしまうクセがあったのです。

 

でも実際は、その「これだけやったのに」の「これだけ」が全然「これだけ」じゃない。

せいぜい素人に毛が生えた程度の技術を身に付けて、自分の限界を見ていたのです。

 

これはいわゆる「セルフ・ハンディキャッピング」という要素も含まれていると思うんだけれど、その説明もしようと思うとどんどん長くなってしまうので今回は割愛。

 

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頭でわかっても心がごねるのなら

恐らく自分へのブレーキは本能的なものだと思います。

やっぱり努力って楽なものではないから、避けられることなら避けたいと脳が感じて、避ける理由を一生懸命探して努力から逃げたがるようにできているのではないでしょうか。

もうこれくらいで十分じゃない?と心が囁くの。

 

それを理性でねじ伏せる。

怠惰な本能を叩き起こす。

 

でも理性にも体力が必要だから、理性のレベル上げもしなくてはいけないね、というのがぼくが再三言っていることですね。

 

きっと誰でも、頑張れば向上できる、ということは頭でわかってると思うのだけれど、一生懸命になれないという人は決して少なくないと思います。

そういう人はぜひ理性的に考えてみてはいかがでしょうか。

 

大丈夫、君はきっともっとやれるはずだよ。

 

知らないけど(どっち