全部を受け入れるのではなく良いとこ取りすればいいという考え方

全部を受け入れるのではなく良いとこ取りすればいいという考え方

前回前々回の話を踏まえて考えると、客観的な正しさはないということになりますが、そうすると、全てのことは自分にとって「知識」でしかないということになります。

それが誰かにとっての知恵であっても、それが自分に伝わった段階では知識でしかなく、それを自分にとっての知恵にできるのは自分だけ。

 

そうやって考えると、本の読み方も自ずとわかってきます。

例えば、対立することを言っているAとBという本があったとして、ほとんどの人は

「この本のどっちが正しいんだろう?」

と考えると思います。

 

つまり、その本単体、あるいは著者に対して客観的な正義・正解を求めてしまう。

でもそんなものはない、というのがこれまでのぼくの主張です。

 

じゃあどうやってそれらを落とし込めばいいのかと言えば、どちらも読んで、どちらもよく考えてみて、自分にとって大事だと思うところだけ両者からかいつまめばいいのです。

Aという本とBという本のどちらが正しいか、ではなく、その中にたくさんの情報が詰まっているわけですから、Aの面白いと思う情報とBの面白いと思う情報とをそれぞれから少しずつ摘み取って、落とし込む。

つまり 10:0 ではなく、6:4 とか、場合によっては 5:5 くらいで読めばいいということです。

自分にとって大事そうなところを拾っていく。

 

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映画やアニメなどの感想も一緒です。

面白いか面白くないかで話が終止する人もいると思いますが、間があっても全然いい。

全体的な話としては微妙に感じられたけど、あの部分は最高だったとか、あのセリフだけは忘れられないとか、そういうバランスで楽しむことも全然ありです。

 

つまり、一つの塊としてそれらを見るのではなく、大きなリンゴの木とでも思えばいいわけです。

その中には当然甘いリンゴもあるし、渋いリンゴもあります。

軟らかいリンゴもあれば、硬いリンゴもある。

その食感の違いによって好みの違いもあることでしょう。

そうやって美味しいとこ取りしていく。

 

音楽も、昔はぼくもバンド単位で聴いていましたが、良いのです。

好きな曲だけ探して聴けばいいのです。

全部が全部自分好みの音楽を作ってくれるバンドなんかいるわけはなく、自分好みの曲だけ拾い上げればいいのです。

もちろん、芸術の話でも話しましたが、補正で全部良く聴こえることはありえますが。

 

だから 10:0 である必要がない。

好きという感情でさえも 10:0 である必要はない。

 

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10:0 じゃないといけないような気がするから、少し気に入らないところを見付けたときに、0:10 になってしまう人は少なくないでしょう。

つまりそれは、1か0という考え方です。

若いカップルほど小さなきっかけで別れてしまうと思いますが、それはそのどちらかでなくてはダメという感覚が無意識にあるからだと思います。

 

かつでのファンがガラッとアンチに変わることもあります。

 

でも自分にとって完璧な人間なんていないし、バンドもいないし、映画もないし、本もないし、アニメもない。

そうやって世界を見ると、それぞれと良い関係を築けるかと思います。

 

もし完璧だと感じる何かがあったとしたら、それはどこかに誤魔化しがある可能性が非常に高いです。

つまり補正、ですね。

それはそれでもちろんありですが、それが補正によるところだということは踏まえておきたいところ。

さもないと自分にとって合わないことですら、それが正しいと誤認してしまう可能性があるからです。

 

誰々さんに一生付いていこう!は大いに結構。

でも(あなたにとって)間違ったことを言う可能性もあるから気も付けなよ、ということ。

それはあくまでも情報・知識でしかないのだから。