人間は理性的でありながら感性的だからこそ生き物である

人間は理性的でありながら感性的だからこそ生き物である

ちなみに母親と何をアツく討論したのかというと、

「人間なんてみんなそれぞれ、千差万別だよね」

という当たり前のことでした。

 

「わかっちゃいるけれど……」ということ

当たり前だけれど、当たり前に思いながらも、でもどこかそれを信じきれていない人も実は少なくないのではないでしょうか。

というのも、違うことはわかってはいるけれども、本当に違うのだろうか、どうしてこう思えないのだろうか、普通こんな風に感じるのではないか、などなどとです。

 

ぼくも口では人それぞれだよねということを言っていまして、例えば映画の感想なんていうのもみんな違ってみんな良いだなんて言うわけですけれども、いざ自分の考えと正反対とも言える話を聞くとやっぱり納得がいかない気持ちが沸き起こるのが正直なところです(『ダークタワー』の記事参照)。

 

頭ではわかっているけれど、心がごねる。

とは『RADWIMPS』の野田さんの歌詞ですが、本当にそのとおりだなーと思います。

 

タバコをやめたいと思いながらもやめられない。

甘いものをやめたいと思いながらもやめられない。

暴力しちゃいけないと思いながらも暴力しちゃう。

盗んじゃいけないのはわかっているけれど盗んじゃう。

 

と、後半犯罪が交じっていましたが、人それぞれ思い当たることがあるでしょう(ぼくの話じゃないよ)。

頭ではいけないと思いながらもついついやってしまうことが一つや二つあることでしょう。

 

人は完全に理性的に生きることはできない。

けれども、だかれこそ人間であるとも言えます。

 

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合理に徹せられないからこそ生き物

人間はやっぱり生き物なんだと思える要因の一つがまさにそのことであり、多分AIには理解できない部分かと思います。

およそ合理的ではなく、感情的で、本能的で、どこかの部分は自分をコントロールできなくなる生き物。

そしてそれこそがぼく達が地球上の生物として生きている何よりもの証拠です。

 

『ハンターハンター』の一巻で

「親を助けるか、恋人を助けるか」

という究極の選択を迫られたらどうする?という話が出てきます。

AIなら恐らく、マンガの登場人物と同じように合理的に考えて

「親は唯一無二、恋人はまた別に作ればいい」

「だから親を助ける」

とか言い始めるのではないでしょうか。

 

でも実際に人間にアンケートを取ったらば、そんなロジカルに考えることはできないでしょう。

そして多くは「選べない」という答えを出すと思います。

つまり「沈黙」ですね。

でももし仮に沈黙が許されず、どうしても選ばなければならないとしたらば、一体どちらの選択の方が多くなるのか、実際気になるところではありますが、そのときの考え方というのは本当に多種多様で千差万別かと思われます。

 

人によっては親が憎いかもしれないし、恋人が憎いかもしれない。

あるいは愛し過ぎていて、恋人を失うのなら自分も命を絶つ、とか言うかもしれない。

親も大事だけどこれからの人生を一緒に歩むのは恋人だから恋人を選ぶ、とか。

恋人いないし、とか。

 

そんな風にみんな違っている。

違っているからこそ面白いわけであって、どっちかが、何かが悪というわけでもないような気がします。

正しさがない。

 

と、わかっていながらもついついつついちゃうよね(苦笑)という話。

 

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理性と感性をあわせ持つ

ぼくを含んだほとんどの人がダブルスタンダードな面を持っている。

理性的な面と感性的な面。

どっちもあっていいけれど、そのことを自分自身気付いていないと、もしかしたら思わぬトラブルを引き起こしかねないから、よく観察しておきたいところです。

 

なんだか何を言わんとして書き始めたわけでもなかったので、方向性が曖昧な文章になってしまいましたが、いつものごとく何かを思っていただけたらそれでオッケー!的な文章としてこの辺で終わりたいと思います。

 

ではー。