多趣味のぼくが語る、趣味を見付けられるようになる生き方

多趣味のぼくが語る、趣味を見付けられるようになる生き方

ぼくは多趣味です。

映画とゲームと音楽を特に挙げますが、別に時間が許されるのであれば絵だって描きたいし、写真だって撮りたいし、バスケもやりたいし、格闘技もやりたいし、サイクリングもしたいし、登山もしたいし、チェスもしたいし、旅もしたいし、本も読みたい。

映画だって洋画だけじゃなく邦画も観てみたいという思いはあるし、ゲームも昔のものから最新のものまで全部やりたいし、音楽もピアノとギターとベースとドラムとバンジョーとマンドリンとヴァイオリンとハーモニカとオカリナと作曲を極めてみたいのです。

 

やりたいことはたくさんあれど、どうやら人生というのは有限らしく、ぼく一人では全部を楽しむことはできないようなので、それを甘んじて受け入れて、「今何をやりたいか」ということをよく考えて行動しているつもりです。

でも無限だったら、その全部をやりたいし、興味を持つかもしれないという可能性を考えるならば、やりたくないことの方が少ないくらいです。

スカイダイビングだって興味はあるし、南極だって行けるものなら行ってみたい。

 

そんなぼくですから、

「趣味がない」「家に帰ってもやることがない」

というような人と時折出会うと、

 

「そんな!勿体無い!」

 

と思ってしまいます。

だって、世界はこんなにも魅力的なのに。

 

しかしながら、そんなことを言うと、

「だったらあなた、趣味の見付け方でも教えておくれよ」

という人もいるかと思いますので、そうですね、多趣味のぼくがどのように思い感じ生きているのかということを交えながら、ちょっと趣味について考えてみたいと思います。

 

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趣味は「見付けるもの」ではなく「できるもの」

まず初めに言っておきたいことは、趣味は本来「見付けるもの」ではなく「できるもの」です。

便宜上「見付ける」という言葉を用いていますが、基本的には何かに興味を持ち、その興味に従って行動し、それが継続されると知らず知らずのうちに趣味になっています。

 

ぼくで考えるならば、まずゲームが好きで、ゲームの音楽が好きになりました。

当時は好きにゲーム音楽を聴くことはできませんでしたから、ぼくは自分で弾きたいと思うようになりました。

それで家にあったエレクトーンで『FINAL FANTASY V』の曲を、自分が聴きたいがために弾き始めます。

そうすると、いつの間にかエレクトーンを弾くこと自体が楽しくなっていたのでした。

 

自分の興味・関心に敏感になろう

というように、まず自分の興味、あるいは関心事に敏感になることが大切です。

それが好きかどうかというのは基本的には関係ありません。

 

例えば第二次世界大戦を題材とした映画を見て、世界大戦に興味を持ったとします。

これは別に「世界大戦が好き」という感情である必要はないわけです。

純粋に

「あのとき一体何が起こったのか?」

という世界や歴史に対し興味・関心を持ったということになります。

 

この興味・関心を無視しない。

せっかくアイフォンないしスマホという便利な道具があるのですから、気のゆくままに世界大戦について調べてみましょう。

 

さて、調べた結果、更に興味が湧くかもしれないし、湧かないかもしれない。

それはどちらでもよいです。

湧かなかったらそれはそれ。

 

でも、更に興味が湧くかもしれないね。

 

きっかけは「好き」である必要はない

そしたらそれはあなたにとっての、何かしらの趣味になる可能性があります。

歴史好きになったり、戦闘機が好きになったら、そこからプラモデルが好きになったり、塗料が好きになったりするかもしれない。

あるいは別の世界大戦の映画を観て、映画が好きになるかもしれないし、映画が好きになったら海外に興味を持つかもしれない。

そこからどのように興味・関心が広がるかはわからないけれど、とにかく、その初めの小さな興味・関心を無視しないようにすると、あなたの琴線に触れる何かに出合う可能性が高くなるでしょう。

 

好きかどうかは関係ない。

趣味というと「好き」である必要があるように思われると思いますが、全然そんなことはないのです。

興味を持った、関心を持った、くらいの感情で、きっかけとしては十分です。

 

自分が「あれ?」と思うことを探す

となれば、あとは興味・関心を探すだけということになります。

先に映画を例えに出しましたが、それはもちろんのこと、スポーツでもいいし、読書でもいい。

ゲームでもいいし、マンガでもいい。

ネットサーフィンだって決して悪くはない。

その何かしらに触れると、絶対に何か「あれ?」と思うことに出合うタイミングがあります。

絶対に。

 

初めはその「あれ?」と思ったことをすぐに忘れてしまうと思いますが、それがあなたの興味・関心に繋がる可能性のあるとても大事な感覚になりますので、ぜひ意識してその感情をキャッチしてほしいと思います。

 

そしたら調べる。

調べて満足したら終わり。

 

調べて更に興味が湧いたら更に調べる。

更に調べて満足したら終わり。

 

更に調べて更に興味が湧いたらもう更に調べる。

終わったらまた次の興味を探す。

 

自分の正直な気持ちと向き合えるようになる

もしかしたらこのプロセスを経ても、趣味らしい趣味に出合わない可能性もあります。

だけれども、このプロセスは趣味を探すということ以上に、自分の正直な感情と向き合える訓練にもなるので、他の何か興味を持つことを見付けたときに

「あれ?今おれ昂ってる?」

と気付けるようになります。

そうなったらしめたもので、趣味になる何かを見付けるのは時間の問題でしょう。

 

例えば、自分で言うのもなんですが、ぼくは世界の絶景写真とかを見れば簡単にワクワクします。

ワクワクしたら、それはもう「行ってみたい!」という感情だとぼくは理解しています。

 

自分の弾いたことのない楽器の演奏動画を見て、なんだか楽しそうだなと思ったら、それはもう「弾きたい!」という感情です。

 

面白そうな映画を見付けたら「観たい!」。

 

興味深いタイトルの本を見付けたら「読みたい!」。

 

素敵な絵を見たら「描きたい!」。

 

こんな風に書くと少しバカっぽいですが、人生楽しく生きるにはバカっぽいくらいが丁度良いものです。

あなたもぼくと一緒にバカやっていこうではありませんか。

 

絶対に「意味」を求めないこと

バカで一つ大事なことを思い出しました。

興味・関心を見付けたときに、絶対に「これをして何か意味があるのかな?」とか考えてはいけません。

 

趣味に意味なんか求める必要はないのです。

 

後から理由付けするのは別に構いませんが、自分が純粋に興味・関心を持ったことに意味なんかないのですから、その段階では意味を求めることはナンセンスです。

 

登山が好きな人は、登山が好きだから登山をするのです。

当たり前のことのようですが、そこに意味はあるのか?と言ったら、正直ないでしょう。

もちろん考えれば「清々しい」とか「良い運動になる」とか、人それぞれ様々な理由があると思いますが、それは後から考えればそうだなというだけであって、例えば登山を趣味とする前から「登山する意味なんてあるのかな?」なんて考えて、見事その意味を見出してやっと登り始めた、なんて人、果たしているでしょうか?

 

というと、まずいないでしょう。

 

「楽器を弾けるからなんなんだろう?」

楽しいのです。

楽しいから弾くのです。

 

「ゲームをして何になるんだろう?」

楽しいのです。

楽しいからするのです。

 

「映画を観て何か意味があるのだろうか?」

楽しいのです。

楽しいから観るのです。

 

繰り返しになりますが、もちろん後付的に意味や理由を探して述べることはできますが、取り組む段階から意味を求めても仕方がありません。

何かに興味を持つことに意味なんてないのですから。

 

だから、そういった意味でもバカになりましょう。

 

ちょっと賢いばかりに


「そんなことして何の意味があるの?」

と言うような人に出会ったことがある人もいると思いますが、そんな人は無視です、無視無視。

 


「また言ってるよ」

 

まあぼくほどに興味の幅が広過ぎると、人生の都合上、どうしても取捨選択しなければなりませんから、それなりに極力意味あり気なものを選ぶようにしてはいます。

だけれども、何か趣味を持ちたい・見付けたいという駆け出しの段階から考える必要は全くありません。

 

やりたいからやる、終わり。

これでよいのです。

 

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まとめ

その「やりたい」を探すには、自分の興味・関心に敏感になること。

それに気付いたらちゃんと接してみること。

そしたら感覚が鋭敏になりますし、その道中で自分にとって大事な何かを見付ける可能性も十分ある。

あとはもういつの間にか何かが趣味になっていることでしょう。

 

そう、最後に、最初に書いたことをもう一度。

趣味は「見付けるもの」ではなく「できるもの」。

気付いたら、趣味になっているのです。

気負いせず、何事も気軽に取り組んでみましょう。