満足と不満足を同時に感じながら
2020/11/03
ぐっもーにん。
今起きたところですが、一つネタを思い付きました。
でも本気で文章を書こうと思ったらパソコンで書くことが僕にとってはマストなので、スマホで書いてる今はメモ程度に留めておきます。
2個くらい前の記事で、「1から10まで全部楽しめたら最高だ」みたいなことを書きました。
確かにそうだ。
確かにそうだとは思うけど、きっと満足しないから人は成長するんだろうな、とも思いました。
それこそ楽器を弾くのなら、Cコードをジャラーンと鳴らせた時に、初心者は大変な感動を覚えると思うけれど、弾けば弾くほど、どんどんそれには満足できなくなっていくわけです。
満足できないと書くと少しネガティブだけど、満足できないからこそ次のステップに行けるのでしょうね。
そうやって成長を繰り返すからこそ、1だったものが2になり、2だったものが3になる。
そういった意味では満足してはいけない。
この不満足なものを感じながらも、それでいて「でも楽しいは楽しい」だとか、「これはこれで初心者にとっては凄いことなんだもんな」って素直に思えたなら、1から10まで楽しむってことがもしかしたら現実的になるのかもしれません。
特にYouTubeなどなどの動画を見てみると世界中の超一流が簡単に見付かりますから、それは要するに自分にとっての100みたいなものだと思うんです。
そういうのをうっかり見てしまうと「凄いな」とは思うけれど、それと同時に「自分なんて全然ダメだな」なんて思いがちかもしれません。
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まさにきっかけの話で言うところの、ネガティブなきっかけですね。
それを踏まえた上で「よし!自分ももっと頑張ろう!」と思える強い意志があるならそれはポジティブだけれど、多くの人にとってはその道のりは途方も無く、ついついネガティブな発想に至りそうです。
だから、もしそれで頑張ろうと思えないという自覚があるのなら、一旦上を見ることは極力避けて、自分の成長を図ることに専念するというのも一つの選択肢のように思います。
誰がどれほどのレベルであるかなんていうのは、究極的にはどうでもいいじゃないですか。
自分はこんなに成長できたぞ!っていうその主観的な達成感を素直に感じられたならば、それで十分幸福度は上がるのだと思います。
そうやって、自分だけの主観的な充実感を感じながら、それと同時にポジティブな意味での不満足な思いを抱いて次に進む。
それを繰り返すことによって、人は幸せを感じながらもずっと成長を重ねることができるのではないでしょうかね。
一歩一歩進みながら、その都度景色を楽しむ。
もっと良い景色を見てるような人が上の方にいるようだが、挫折に繋がりそうなら上は見ないこと。
でもその存在が「あ、あそこまで人は行けるんだ」と思えるようなら、どんどんそこを目指そう。
今も楽しいが、まだまだ楽しくなるぞって。
過去と今と未来が楽しければ、きっとその人の幸福度は高いはずだから。
ね。
ノシ