『めぐりあう時間たち』を観て改めて考える予告映像との付き合い方

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先日、『めぐりあう時間たち』という映画を観ました。

監督は『リトル・ダンサー』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』などで知られるスティーブン・ダルドリーさんです。

 

もともと僕は『リトル・ダンサー』が凄く好きで、誰かにオススメの映画を聞かれたときなどに候補に挙げるような映画です。

その上で『ものすごく~』を観てみて、それもものすごく良い映画だと思ったので、監督さんのことを調べてみたら、あの『リトル・ダンサー』の監督さんだったので、他の作品にも興味が湧いたのでした。

 

その中でも目に止まったのが、この『めぐりあう時間たち』。

個人的に特に興味を持ったのは、ニコール・キッドマンです。

名前こそ聞くけれど、そういえばニコール・キッドマンのことってあんまり知らないな、あんまり映画観たことないな、と思っていたのですが、この映画でアカデミー賞の主演女優賞と受賞しているということで、俄然興味が湧いたのです。

 

先にそのことについて触れておくと、いやーニコール・キッドマンって演技めちゃくちゃ上手だったんですね(笑)。

それともハマり役だったのかしら?

いずれにせよこの映画で演じてる「ヴァージニア・ウルフ」という役は最高でした(他の作品も観てみよう)。

 

もしかしたら今まで見てきた女性の役の中で一番上手に思ったかも。

 

他にも誰かいたかな。

 

ちょっとパッと出てこないくらいには、記憶にないですね。

 

上手な演技を見るのって、それだけでなんだか心打つものがありますよね。

 

さて、演技関係の話はまたいずれ。

今回書こうと思ったことはまた別で、それが何かと言うと、予習ってどれくらいすればいいのかなーということについてまた考えたのでした。

 

というのも、前提として、僕は映画の予告を見ません。

それが新作映画であろうが、昔の映画だろうがです。

だから、例えば何か観る映画を探すにあたって、予告映像をチェックとかはまずしません。

ポスターから滲み出る雰囲気で面白さを想像したり、後は今回みたいな監督さんで選んだりとか、俳優さんで選んだりとかしてます。

 

そういう選び方を理解できない人もいるかもしれませんが、僕はこれで良いと思ってて、それこそが映画を余すことなく楽しむのに必要なことだろうと思っています。

そう、思っていたのですが、少しだけ迷いが今回生じました。

 

なぜかと言うと、予習がないと映画の理解が追い付かなかったからです。

この『めぐりあう時間たち』は、3人の女性が軸に、いわゆるトリプル主演的に物語が進んでいきます。

しかもそれぞれ生きる年代が違うんです。

舞台は1923年と1951年と2001年。

それが古い時間から新しい時間へと移り変わっていくのではなく、この3つの舞台が同時進行で進んでいくんです。

23年のシーンかと思ったら51年のシーンへ。

51年のシーンかと思ったら01年のシーンへ。

そうやってあっちこっち場面が変わりながらそれぞれの物語が進んでいくので、1回で内容を理解するのは大変難しい。

 

特に、今回観るにあたって掴んでいた情報では、実在した小説家の話だということでした。

それが上でも出した名前「ヴァージニア・ウルフ」さん。

だから、僕は最初に観てるときに、1923年はヴァージニア・ウルフさんの史実物語であり、他の話はヴァージニア・ウルフさんの書いた小説の内容を映像化したものかと思っていたのです。

でも実際は違ってて、1951年と2001年の物語は、ヴァージニアさんが書いた小説の物語と同じような人生を歩んでいる2人の女性が描かれたものでした。

 

でね、それを初見で見破るのは難しいと思ったのです。

きっと予告映像ではそういう解説がされると思うし、きっと「あらすじ」なるところとかに書かれてることだと思うんです。

その3人の主人公がどんな関係性を持って物語を紡ぐのか、それだけでも把握していれば、もっと早くに映画の内容に入り込めて、理解も深まったと思うんです。

 

だから、今回は前情報を一切カットしているスタイルが仇となったかな、と感じたわけです。

 

このさじ加減が実に難しい。

 

僕は基本的に予告映像のあり方が好きではありません。

せっかくのネタもバラすし、本編にない映像も平気で流すし、本編で受け取るようなものとは全く違ったテイストで映像を編集したりするし、過剰に面白そうにするし。

面白そうにするのはまあお客さんに興味を持ってもらうためには必要なことではありますが、でもそれによってハードルが上がり過ぎることもあると思います。

そうするとせっかくまっさらな状態で観れたなら面白いと思えた映画も、大したことなかったなと思ってしまうこともあるだろうな、と思うのです。

 

あと個人的に気になるのは、本編を観てるときに、予告で見たシーンが来ると「あ、ここであの予告で流れた映像が来るんだな」と察してしまうこと。

そうすると途端に現実に戻されてしまうので、これも避けたい。

 

などなど、予告を見たくない理由はたくさんあるのですが、でも今回の『めぐりあう時間たち』みたいな難解な構成の映画は、ある程度事前情報がないときついな、と改めて思ったのでした。

 

うーん。

 

でもまあそれも醍醐味かしら。

この映画は何を描こうとしてるんだ?

この映像は何を映してるんだ?

今何が起こってるんだ?

ってことを考えながら観るのも、それはそれでいいか。

 

観ながら自分で理解を深めていくのも、そうか、醍醐味かしら。

 

じゃあやっぱり今までのままでいいか(自己解決)。

 

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