あっという間に色濃い人生を送りたい

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お晩です。

昔、後輩にこんなことを言われました。

 

「僕、早く年取りたいんですよ」

 

何その小学生みたいな発想(笑)と思った僕は、それは一体全体どういうことなのか、すぐに確認しました。

すると彼はこんな風に言っていました。

 

「楽しいことをしてる時間って凄く短く感じるじゃないですか。だからできるだけ楽しいことをして人生を短く感じたいんです」

 

なるほどなと。

そういう発想はなかった僕は非常に感銘を受けて、自分なりにも解釈してみたのですが、彼とは少しだけ違うニュアンスに言葉が落ち着きました。

 

どんな風かというと

「過ごす時間はあっという間だけれど、振り返ってみれば濃い人生、というのが最高だよな」

です。

 

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というのも、彼の言うとおり、楽しい時間はあっという間です。

恐らく人類の9割9分9厘の人が共感してくれることだと思います。

 

そして反対に、「嫌だな」と思うことをする時間は長く感じます。

授業中時計を確認して、全然針が進まないことにイライラしたことはございませんか、僕はある。

 

楽しいと早い。

嫌だと遅い。

 

だけれどもね、過去のことを振り返ってみてもらえればわかると思うんだけれど、楽しいことって思い出になりやすく、嫌なことって思い出になりにくいと思うんですよ。

もちろん傷付くような嫌なことは別ですが、例えばそれこそ授業中のけだるい時間が特別思い出になってるかといったら、当然そうではないと思うんです。

長く感じた勤務時間が特別な思い出にはならないと思うんです。

それよりも、友達と過ごしたあの時間はあっという間に感じられたはずなのに、そのことの方が色濃く記憶に残る。

 

この時間が永遠に続けばいいのに、なんてロマンチックなことを好きな子の隣で思ってみたとしても、皮肉なことにそう思えば思うほどに時間は短く感じる。

なのにそれは、まるで時間が濃縮されたからこそでしょうか、自分の思い出に色濃く残るのです。

不思議ですね。

 

だからね、

「過ごせばあっという間、だけれど振り替えると濃い内容」

が一番だと思うわけです。

 

つまらないこと、退屈なこと、嫌なこと、面倒臭いこと、何と表現してもいいけれど、自分の望まない時間を過ごせば過ごすほどに、それは

「過ごすと1日が長い、でも振り返るとなんにも覚えてない」

になってしまう。

それではちょっと人生そのものがつまらない。

 

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そしてこれはあくまでも持論なのですが、感じる時間は体感(脳)的には現実なのではないか、とも思っています。

 

どういうことかというと、それこそアインシュタインが相対性理論の説明をするときに

「熱いストーブの上に一分間手を載せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。ところがかわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間ぐらいにしか感じられません。それが相対性というものです」

という言葉を残しているわけですが、この体感している1分と1時間を実際に脳が「そう」感じているとしたら?ということです。

本当に熱いストーブを1時間と感じ、女の子と座ってるのを1分と感じているとしたら?

脳が錯覚してるとしたら?

 

もし仮にそうであるならば、楽しくてあっという間の時間を過ごせば過ごすほど、そうではないときより老いが遅くなるのではないか、と思うのです。

反対に、つまらない退屈な時間を過ごせば過ごすほどに、そうではないときより老いが早くなるのではないでしょうか。

 

だって、前者は1日を12時間くらいにしか感じないかもしれないし、後者は1日を36時間くらいに感じるかもしれない。

この数字のまま計算すると、100日過ごせば前者は1,200時間、後者は3,600時間過ごしたことになります。

経った日数は同じ100日だったとしても、実際に過ごした時間の長さが違う。

 

もちろんこれは便宜上時間に大差を付けただけであって、実際にはそこまでの差は出ないと思いますが、でももしかしたら似たような現象は起きるのかもしれないな、と。

これが逆の現象だったらいざ知らず、楽しくて時間が凝縮された分、伴ってちゃんと体感が短くなるのであればありがたい。

更にそれが思い出になって、人生に彩りを与えてくれるものになるのならば、それ以上のことはないですね。

 

だから、楽しいって気持ちとか、興味が湧くこととか、没頭できることとか、自分にとってのそういったものを把握して、意識的に取り組めたらいいのかもしれません。

短くってあっという間だけれど、振り替えればそれが足跡です。

ポジティブな意味で「いつの間にかこんなところまで来ていた」と思えるでしょう。

 

足跡もなしに迷子だと、ネガティブな意味で「いつの間にかこんなところまで来ていた」です。

どっちがいいかは問うまでもないことですが、それを選べるのも実際に選ぶのも自分自身。

 

踏み出しの一歩が違えば、後に続く道筋も変わってくる。

そう考えると、多くの人が人生という道に悩む理由がわかります。

 

迷ったら、その指標は思い出と化したあっという間の中にあるのかもしれません。

 

さあ何をしようか。

 

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