「もしも」を考えて写真を毎日1枚撮ることにした

この記事は2分で読めます

空とか景色とか夜景とか人とか、いろいろな思い出となるであろうものや情景を写真に収めることが好きで、特にカメラで撮ることが好きです。

スマホなどでお手軽に撮れる時代ではありますが、やっぱりカメラで撮りたい。

だからできるだけ常にカメラを持ち歩いていたいと思いながらも、でも邪魔臭いと思う自分もいます。

だってね、そんなにそうそう写真を撮るタイミングって訪れるものでもないですから。

言っても週に1回も撮らないことがほとんどです。

もちろんそれは自分の気構え次第ですから、「なんか撮りに行く」くらいに思っていれば毎日でも撮るのでしょうが、そこまでの情熱もない中途半端野郎なのである、というのが正直なところです。

 

そうなると、毎日持ち歩くのは少し億劫になってきます。

んーどうせ今日も撮らないだろうしなーって。

持ち歩いても荷物になるだけだしなーって。

 

でもふとそうした日々が続いた先で、撮りたい風景に出合ったりします。

そのときに初めて「あ!やっぱり持ってきておけば良かった!」と思うのです。

 

失って気付く、本当の大事さ。

みたいな言葉もありますが、本当に、事が起こってから後悔しても遅いですね。

 

でもだからと言って「何かあったときに困るから」と、なんでもかんでも取って置くのもアホらしく思います。

使わない空き缶みたいなものや紙袋が山積みになっているのはどうなんだろうと思う。

 

そのこととこのこととでは、相反する考え方なのでしょうか。

 

もしもの為に。

 

もしもって、なんだ?

 

そのもしもがもしもにならないために、例えばカメラを持つのならば、毎日何か1枚でも写真を撮ると決めてしまえば、それは「もしも」ではない。

もし仮に本当に撮るべきだと感じられる素敵な出合いがあったとき初めて光り輝くものかもしれないけれど、常に何かを撮るために持ち歩いてるそれは「もしも」じゃない。

 

スポンサーリンク

そうだ、歌手デビューが決まってから歌の練習をするなんてことはありえない。

毎日歌手デビューを夢見て歌の練習をしているからこそ、その人はデビューするだけの逸材と言えるのである。

ともすると、素敵な景色を見付けてから「あ、カメラ!」と思うのは、歌手デビュー決まってから練習するようなもので、常に景色を探してて、撮影技術を高めながら試行錯誤を繰り返して、何気ない写真を毎日撮るからこそ、本当に大事な場面でその写真力が生きてくる。

 

じゃあ僕は、撮るべきだなー。

そこまではやれないって人がほとんどだろうけれど、僕は撮るべきだなー。

というか、昔そういう時期があったことを思い出しました。

毎日1枚は必ず何かを撮る、ってやつ。

当時は自転車移動が主だったので、いろいろ景色を見て回れたっていうのも大きかったんですが、それはまあ言い訳ですね。

別に車で移動しようがなんだろうが、1枚写真を撮るなんてことはどこにいたってできることですからね。

 

というわけで、撮るかー。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。