タイムトラベルに感じる3つの大きな矛盾

この記事は4分で読めます

『タイムマシン』という爆笑SFコメディ(嘘)を観る前からよく考えていたことなんですが、タイムトラベルには大きな矛盾があると思うんです。

正確には「過去」に行くこと。

 

問1 タイムパラドックス

「未来」に行くことはできると思うんです。

正確には、未来に「行く」というよりかは、自分の時間の進みを遅くすることによって、周りとの時間にズレを生じさせ、あたかも「未来に来た」という錯覚に陥ることなんですが、要は浦島太郎です。

気付いたら100年後だった、みたいな感じ。

それもある種のタイムトラベル。

 

ピンと来ない人はぜひ『インターステラー』という映画を見てほしいと思います。

 

で、過去に行くってことなんですが、こればっかりは大きな矛盾が生じざるを得ない。

よく議論されることではありますが、『ターミネーター』という「自我に目覚めた機械 VS 人間」を描いた映画では、ゆくゆく機械側に大ダメージを負わせることになるジョン・コナーという人間を、そうだ!生まれる前にころしちゃおう!という発想になった機械側が、過去にターミネーター送ってジョン・コナーの母親をころそうとします。

それが成功したらジョン・コナーも生まれないであろう、と。

 

ところが、人間側もそれを阻止するべく、一人の人間を未来から送ります。

そして無事にジョン・コナーの母を守ることに成功するのでした。

 

しかし物語は終わらない。

映画は2へと続き、今度は機械側が、そうだ!ジョン・コナーが子供のうちにころしちゃおう!という発想になり、イケメンのエドワード・ファーロング君演じる子供時代のジョン・コナーをころしに来ます。

人間側ももちろん黙ってはおりません、またジョン・コナーを守るべくある刺客、最強のガーディアンを送り込むのでした。

 

あれ?映画の解説みたいになっちゃった。

 

その『ターミネーター2』では、ジョン・コナーを守る死闘だけに留まらず、そうだ!自我に目覚める機械を今の内にぶっ壊しちゃおう!という発想になり、実際にぶっ壊す映画でもあります。

そうして未来は明るくなったのである……のか?という感じで終わるのです。

 

さて、ここで大きな矛盾を感じます。

だって、自我に目覚める機械をあらかじめ壊したということは、「機械 VS 人間」も起こらないということです。

そしたらジョン・コナーが機械側に大ダメージを負わせることもないし、大ダメージを負わない機械は当然ジョン・コナーの母親をころしに行くこともない。

ころしに行かないってことは、その時系列はまた普通の生活に戻るということだから、普通の生活に戻った先では「機械 VS 人間」が起こることを知らないから、自我に目覚める機械をあらかじめ壊そうっていう発想にもならないのです。

発想にならなかったら、今度はいよいよ機械が自我に目覚めちゃって、また「機械 VS 人間」という未来が待っている。

 

タイムパラドックスである。

 

機械が自我に目覚めるAというルート。

機械をぶっ壊したBというルート。

 

Aのルートに入ればBのルートに乗り、Bのルートに乗った瞬間それはAのルートに戻ることを意味します。

時間がAとBを無限ループして、時はそれ以上進まなくなるのではないか、と。

 

 

もちろん、いろいろな時系列があるというパラレルワールドという解釈をすれば納得できますが、個人的にはパラレルワールドは逃げのような気がしてあんまり好きではございません。

 

あと、映画としては『ターミネーター3』があって、それでまた機械が自我に目覚めるんですね。

だから3のおかげで矛盾はなくなるよね!とも言われてるんですが、ここでは3はなかったものとします(いろいろな理由で)。

 

追記

この問に関して訂正がございましたので、改めて記事を書きました。

タイムトラベルの矛盾について訂正がございます

 

スポンサーリンク

問2 未来の自分に

もう1つ例を出しましょう。

あれはもういつか忘れてしまったのですが、テレビで『ハリーポッター』の映画が放映されていました。

ぼくは実を言うとハリーポッターシリーズを2作目くらいまでしか観てないので、そのとき放映されていたものがシリーズの何かも忘れてしまったのですが、ハリーが未来のハリーに助けてもらうシーンがあったんです(軽いネタバレ失礼)。

 

未来の自分に助けられる。

つまり、その未来の自分も更に未来の自分に助けられたことになります。

じゃあその未来の自分を助けた未来の自分も更に未来の自分に助けられたのであり、更にその未来の自分も自分が自分で自分に自分を助けたのである(わけわからん

 

ともすると、行く着く先に一体何が待っているのか。

つまり、終点があるはずなのです。

だって、どこかでその変化が生じてるはずなんですから。

 

一応の解釈を述べると、本当はそのとき、助けなくても助かったのかもしれません。

誰にも助けられず助かったハリーは、

「でもあのとき辛かったよなー」

「そうだ!過去の自分を手助けしてやろう!」

という発想に(どういうわけか)なり、どっち道助かるのに助けてしまった、と。

そこからスタートした「未来の自分に助けられる」というルートだったのかもしれません。

 

じゃあその心境の変化はなんだったんだろう?

そんな疑問が浮かびます。

 

問3 時間の区切りはどこ?

もう1つの例を出しましょう。

時間の区切りってどこにあるんだろう?という最大の疑問です。

 

例えば10年前に行くとしましょう。

そうすると10年前の自分がそこにいるはずですね。

 

じゃあ1年だったら?

そう、1年前の自分がそこにいます?

 

じゃあ1ヶ月だったら?

1ヶ月。

 

1日だったら?

1日。

 

じゃあ1秒だったら?

1秒前の自分がいるのかしら?

1秒間だけ。

 

じゃあ0.1秒だったら?

一応いる?

 

タイムのトラベルの仕方にもよると思いますが、その区切りはどこにあるのでしょうか。

何をもってして過去と言えるのか、未来と言えるのか。

 

0.0001秒前の自分は他人でしょうか。

 

『時をかける少女』というアニメ映画では、過去に行ったとき、その過去の自分に未来の自分が乗り移るみたいな感じの設定でしたが、じゃあまた未来に戻ったとき、その未来の自分に一時乗っ取られていた過去の自分は果たして何を思うのか。

難儀なものです。

 

スポンサーリンク

 

ところで、そもそも過去に行けるのだとしたらもうこの世界に未来人がいてもおかしくないでしょ!でも未来人なんて見たことないからタイムトラベルなんてできるようにならない何よりもの証拠なんだよ!という考え方もあるでしょう。

でもそれは一概には言えないよね。

だって『メン・イン・ブラック』っていう映画みたいに、一瞬で記憶を消すことのできる道具があったとしたら、ぼく達はもうすでに未来人の記憶を消された後かもしれないからね。

 

さっきまで仲良くしていたあの同級生は、実は未来から来た人間だということを知ってしまったぼくは、同級生に同級生の記憶を消され、友達を一人失ったあとのぼくかもしれない。

 

だから、「会ってない=いない」にはちょっと懐疑的。

 

まあでももし本当に未来人がタイムをトラベルしてるのだとしたら、もっと時代はぐちゃぐちゃになってると思いますけどね。

 

でも今生きてるこの世界が確かな証拠もないし、やっぱり機械に操られていて、ぼく達は『マトリックス』的な世界を生きているかもしれないと考えると、何も言えなくなっちゃう。

 

うーん。

 

映画の観過ぎだな。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

スポンサーリンク

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。