老いが怖い人は疲れなさい(最近の本のタイトル風)
2020/05/21
その他にも、東京の街を7時間歩いたという話を後輩にしたら、
「ゆきちさんの体力は宇宙ですね」
ということを言われました。
もちろん宇宙ではない(知ってる
ただ、身体的に疲れることに抵抗感がない、ということは言えるでしょうか。
これは前にも書いたことがあったと思うのですが、改めて書いてみようと思います。
疲れてなんぼだろう精神。
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能力低下の理由は老いだけなのか
ぼく達人間は、多くの場合、高校を卒業したあたりから
「もう体が動かない」
「年取ったなー」
「昔は無理できたけど~」
みたいなことを口々に言うようになります。
昔のように元気じゃないのは年を取ったからなんだ、とでも言わんばかりに。
でもぼくはそうは思わなくて、体が元気じゃなくなるのは年のせいなんかではなく、単純に体に負荷を掛けなくなるからだと思っています。
というのも、高校生だと部活動をしてる人も多いし、通学は自転車という人も多いでしょう。
バイトしてお金を稼いで、友達と夜遅くまでアクティブに遊んだりもするでしょう。
そうやって体に負荷を掛けて、常に限界を超えようと体は頑張っていたと思うのです。
筋トレと一緒ですね。
筋肉は使わなければ落ちる一方です。
でも鍛えて負荷を掛ければ、筋肉痛の後に筋肉の成長を図れるのはご周知のとおりです。
高校を卒業した辺りから、全く運動しなくなるという人は少なくないでしょう。
だから、その辺りから能力が低下する人が多く、
「もう年だから」
とか冗談交じりに言うようになるのだと思います。
そして年を取れば取るほど、本当に老いが表れます。
時の流れには抗えないですから、老いに関しては受け入れるほかないわけだけれど、だからと言って放置しておいていいということにもなりません。
ただでさえ老いで能力が低下するのに、放っておいたら余計に低下してしまうというものです。
職場の主婦に言いたかったこと
ぼくの仕事はわりと体を動かすので、身体的に疲れる場面が出てきます。
そうすると職場の主婦なんかは
「もう体力的にしんどくなってきた」「辞めようかしら」
みたいなことを冗談交じりに言ったりします。
そうしたときにぼくはポロッと言ってしまったのです。
「でも辞めたら体力落ちちゃいますよ」
と。
そうしたら
「年寄り扱いしないで!」
と言われてしまいました。
ぼくは「しまったな」と思いましたが、でもぼくが言いたかったのはもちろんそういうことではなく、あなたがいくつなのかなんてことは関係なしに、使わなきゃ能力は低下するのが生き物なんだから、しんどいことを理由にしんどいことから逃げてしまっては、能力低下は著しくなりますよ、ということが言いたかったのです。
それはもちろんぼくも一緒です。
いいえ、誰でも。
50だろうが40だろうが、30だろうが20だろうが関係なく、動かなきゃあ筋力は低下するし、そのくせ贅肉は付くというものです。
筋肉痛くしたい
だから、ぼくは体を動かせるものなら動かしていたい。
多少無理もしたい。
そんな風に考えています。
ギターを弾いたら左手の筋肉を痛くしたい。
右腕の筋肉も痛くしたい。
ピアノを弾いたら指の筋肉を痛くしたい。
ドラムを叩いたら腕の筋肉を痛くしたい。
脚の筋肉を痛くしたい。
そんなメンタリティで生きています。
仕事はそこそこ長く続けていて、その仕事に適した筋肉が今ムキムキに付いてるのですが、いまだに頑張り過ぎて筋肉が痛むことがあります。
当然、全く老いだとは思っていなくて、また一つ筋肉が成長しようとしているぞ!ムフフ!くらいに思っています(キモイ
そうやってずっと、ぼくはこの体で元気に生きていきたいの。
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まだまだこれから
だから、そこに意味性さえあれば7時間歩くことくらい屁の河童。
体力的にはしんどかったけれど、精神的には全くしんどくありませんでした(翌日は流石に足が棒だったのであれでしたが)。
脚の筋肉がガクガクで、帰ってからは産まれたての小鹿のようだったけれど、むしろこれでいい。
筋肉痛になるくらいが丁度いい。
後輩の言うように、決して宇宙的な体力は持っていないけれど、目指すところは宇宙なのかもしれません(謎
まだまだ若いもんには負けんぞい(じじい
完