英語の日記を書こうと思いましたら。

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英語の日記でも書こうかなーなんて思っています。

よく言うじゃないですか、「英語を覚えたければ海外に行け」だとか「(英語圏の)外国人と付き合え」だとか。

それって要するに「英語を話さなきゃ生きてはゆかれない」っていう状況に自分を追い込んで、「勉強だるい」っていう腰の重たさを夏休みの宿題的な演出をすることによって尻にムチが打たれ君は馬車馬の如く走り出すことができるんダス!ダスダス!っていうことだと思うんですね。

ムチが打たれれば打たれるほど尻は赤く腫れ上がり、重たかった腰は二度と下ろすことはできないだろう、っていう二段構えの寸法さ。

 

でも僕は痛いのは嫌なんだから、できることならムチ打たれたくない。

でも英語を覚えたい。

人って欲深い生き物です。

 

そんなときに思い付いたのが「英語の日記」です。

英語で日記を書いたらきっと良いんじゃないかなーと思っています。

 

そもそも僕達日本人がなかなか英語を覚えられないのって、結局英語を使わないからだと思うんですね。

学校でやらされる大半のことは「英語を話すため」はなく、「英語を解読するため」という勉強法になっているような気がするので、そんなんじゃあいつまで経っても英語なんて話せないわよね、って。

読めても、話せないし、聞けないと思うんですよね。

 

まあ僕は読むことすらままならないんですが。

 

だから、イングリッシュをマイマウスからナチュラルにスピークするには、まずサムワットでもタイムがロングにテイクしてもいいから、シンキングをイングリッシュに出来る様にする事だと我思ふ事也、で候。

それはつまり「英文」ってことなんですけれど、じゃあ日記がいいだろうなーって。

 

お喋りするのと作文するのは厳密には違うし、声を聞くのと文字を読むのは全然違うことだけれど、言葉をまず理解できないことには始まらないし、知らないことを口にすることはどれだけ時間を掛かってもできないんだから、まずは時間を掛けてでも作文できるようになることからがスタートだと思うんです。

 

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日本語も一緒だと思うんです。

時間を掛けても文章にできないことは、とっさに口にはなかなかできないと思うんです。

「文章が苦手」っていう人は世の中多いけれど、でもそういう人だって文章で喋ってるんだと思うんです、厳密には。

僕、ご飯、美味しい、思った、なんて喋る人はいないと思うんです。

じゃあ文章が上手な人ほどとっさの言葉の選び方とか表現の仕方っていうのは多彩で優れていると思うし、より正確に自分の気持ちを喋ってくれるのではないでしょうか。

 

もちろん、たとえ文章が苦手でも単純に「喋るのが上手い(好き)」っていう人も世の中にはいっぱいいるけれど、少なくともこんな僕は喋るのが苦手です。

放って置かれると一生喋らないくらいの勢いで苦手なんですが、そんな苦手な僕が、後輩に「先輩コミュ力高い」と(一度でも)言ってもらえたのは、他ならぬ文章力のおかげだと人知れず僕は思っています(が、ここで書いた以上人知れずではなくなってしまいましたか)。

それはなんというか、後輩は黙々してる僕を容赦なく突っついてくるので、僕の口から文章としての言葉がボロボロ出てくるイメージです。

 

ツンツンして来るんで、ボロボロ出るんです。

 

少し逸れましたが、ともすると、英語だって英文が書けるようになったら、それを口にできるようになる日が来るのではなかろうか、という風に夢見ているのです。

黙々した僕が英語を口にするタイミングが訪れるかは果たしてわからないけれど、いざという時にペラっとできたら、なんかいいじゃん?

 

それには、有事に準備し始めたんじゃ遅いんだから、平時から準備してなくてはいけません。

 

そうやって口にできることが増えたのなら、理解できる言葉もそれだけ多くなる。

そうしたらいつの日にか、海外の映画とかドラマとかも理解できるようになるのではないだろうか。

 

そんな風にして、自分に理解できる世界をググッと広げたい。

世界は変わらずあるけれど、自分が変われば世界の見え方も変わるでしょう。

 

芸術に対する造詣の深さがあるのなら、世界に対する造詣の深さもあるのでしょう。

それが本来的な勉強の楽しさだと思うから、もし子供ができたらそういうことを教えたいな、って思います。

 

でもまずは自分から。

 

ってね。

 

ノシ

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