『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で自分の暴力性を垣間見る
2020/11/01
実は結構前に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』という映画を観ていたので、思い出しながら感想を書こうと思います。
最初に観終わって思ったことは、
「面白かった、けど何かが引っ掛かる」
というようなことでした。
確かに楽しめたんだけど、結局それでこれは一体全体どういうことなんだ?という風に思ったのです。
それで帰ってからいろいろ調べてみて、その「引っ掛かり」が何かがわかりました。
この映画、実際に起こった事件が題材だったんですね(苦笑)。
チャールズ・マンソンっていうカルト指導者による、女優とその夫である映画監督とその友人等を殺害したという事件が1969年に起こっていて、そこに架空の人物であるレオ様とブラピが絡んでくる、というような流れです。
なるほど、合点がいきました。
そこにタランティーノ監督の思いを乗せて、ああいうラストなのか……な?
僕は、かねてから公言していますが、映画の予告を一切見ないですし、映画の情報も極力カットしています。
得る情報と言えば、主演者だとか助演者だとか、あとは映画監督の名前でほぼ観るかどうか判断しています。
どうしてそこまでしているのかというと、少しのネタバレもなく、全部のシーンで驚きを感じたいと思っているからです。
「あ、ここのシーン予告で流れてたシーンだ!」とかも思いたくないし、予告による過度な期待もしたくないのです。
それによる弊害もいくつかあるんですが、その辺りは自分の中では折り合いが付いていて、結局情報を取らないという選択をしています。
要するに、その方が映画は楽しめるであろう、と思っているわけです。
でも今回ばかりは、どういう映画であるか、という情報くらいは得ておいてもいいかもなーと思いました。
前にも『戦場でワルツを』という映画を観て同じことを思っていたんですが、すっかり忘れていました(笑)。
どういう映画というか、せめて題材があるのかどうかくらいは得るべきでしたね。
最近観た『グース』も実話が基でしたが、あれも実際にあったのかどうかによっては見方が変わる映画でしたし。
得るべき情報と得なくていい情報のバランスがいまだに難しい。
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さてさて、僕の映画に対する姿勢の話はこれくらいにして、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』という映画についてなんですが、終盤、大変エキサイトしている自分がいました。
持っていき方と言いますか、演出が上手く、まんまと僕は騙されて、最後のシーンでエキサイトしてしまったわけです。
なんなら火炎放射のくだりとか、正直爆笑しましたしね(爆)。
ただ、エキサイト、つまり興奮したということなんですが、その事実に少し恐怖を感じます。
観た方はわかると思いますが、あのラストに興奮してしまうということは、何かどこか自分の暴力性みたいな一面が垣間見えたような気がして、楽しんでよかったのだろうか?と少しだけ悩んでしまう。
ポジティブに考えれば、あんな殺人犯がどうなろうが知ったこっちゃないだろ、とも思えるのでしょうけれど、一方で、そうなのかな?とも思います。
何してもいいのかしら?
そうではないだろう、と。
まあと言っても、どこまでいっても物語ですから、多分同じように感じてもそこまで思い悩む人って多くないと思いますけれど、僕としてはそんな自分の怖い内面を新たに感じたりもして、結局は、映画ってやっぱり面白いなーとつくづく思いました。
いろいろな世界を見せてくれて、疑似体験できる。
そこに自分がいたら何を思うだろうか。
知らない世界だとか、知らない価値観だとか、そういったものを物語を通して感じられて、自分の中の世界もまた少し広がるような感覚があります。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でそれを強く感じました。
これだから映画はやめられないですね。
ちなみに、主演のレオナルド・ディカプリオさんが相変わらずの演技力で、改めて凄いなと思いました。
「凄い」と言うと浅い感想だけれど、凄いとしか言いようがない。
今回もまず間違いなくアカデミー賞ノミネートはするでしょうねー。
最近観た『ギルバート・グレイプ』っていう映画でも18歳(19歳?)のレオ様が助演で出てましたが、彼は若い頃から演技滅茶苦茶上手だったんですね。
で、『レヴェナント: 蘇えりし者』で悲願のアカデミー賞主演男優賞受賞だったわけですか。
素晴らしい俳優さんですね(プライベートは知らんけど)。
完