女子高生を見て気付いた、ぼく達人間がお作法を学ぶ意味
2020/05/21
この世界にはお作法というものがあります。
マナーと言ってもいいでしょうし、常識という言葉で表されることもあるでしょうか。
いろいろな決まりとされるものがあり、ぼく達はそれに従うように生きてるわけだけれど、その中には疑問点があったりもします。
例えば食事のマナー。
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お作法はどこまで守るべきなのか
お米が左で汁物が右とか、箸で人を指さないとか、箸でお皿を手繰り寄せないとか、箸と箸で食べ物の受け渡しを行わないとか、テーブルにひじを乗せないとか、あぐらをかかないとか、口を開けて物を食べないとか、いろいろとあると思います。
そしてその一つ一つにきっとそれらしい意味があるのだと思うのだけれど、それらを守っていないからと言って
「だからなんなの?」
と言われると、言い返せない面も実際あると思うのです。
それに、ぼくが大事に思うことと、相手が大事に思うことが違っていたりもするでしょう。
「これくらい常識でしょ」
と思うことが、それぞれで微妙に異なっていたりします。
じゃあ誰の常識が基準とされるべきなのでしょうか?
というと、それは誰にもわからないことです。
誰かにとっては食事中にテレビを見ることなんて言語道断!なわけだけれど、多くの人にとってはそんなに大したことではない。
でも本を読みながらとなると、うーん、ちょっとねーみたいになり、基準はとても曖昧です。
ひじをテーブルに乗せたからといって、なんだというのか。
そこまで反抗的には思わずとも、少し考えてみると、どうしてこのようなマナー・作法と呼ばれるものができたのか、疑問に思うことがあったのです。
それについて答えられる人がどれくらいいて、どのような意見を持っているのかはわかりませんが、ぼくなりに最近解釈したことがあるので少しまとめがてら書いてみたいと思います。
お作法は美しくあるために学ぶ
ぼくが思うに、マナーとかお作法というのは、人が美しく見られるためにあるのだと思います。
ひじをついてるからなんなのか?と問われれば、別に何と言うこともないのだけれど、ひじをついたほうがいいのか、それともひじをつかないほうがいいのかといったら、ひじをつかないほうが断然美しいであろう、と。
マナー・作法に(知識として)縛られた人というのは、とても窮屈に感じられることがあると思いますが、それが身に沁みていて、自然と動作に現れている人はとても美しい。
そのことに気付いたきっかけとなったエピソードがあるのですが、少し変態的に思われるかもしれないお話で、実はあんまり話したくないんだけれど、避けては通れない大事なことなので逃げずに書いておこうと思います。
大の大人が女子高生に見惚れてしまった話
某所のイオンのフードコートにいたときです。
女子高生がいました。
お母さんと一緒のようでした。
その女子高生がなぜ女子高生だとわかったのかと言えば、制服を着ていたからなんだけれど、その辺りでは見かけない制服だったのでより印象に残ったのでした。
きっと私立のお嬢様学校なんだと思う、わかんないけど。
それで、ぼくは彼女に思わず目を奪われてしまいました。
なぜかというと、めちゃくちゃ姿勢が良かったからです。
シュッとしててピッとしてて、端的に言えばまさに美しかった。
顔がどうだとかそういう話ではなくて、女性として、その振る舞いがただただ美しかったのです。
そしてその美しさは、正直ぼくが今まで出会ってきた女性の中で一番の美しさでした。
人はこんなにも美しく見せられるものなのかと思いました。
しかもそれが女子高生と来たもんです。
マナーとか作法とかそういったものを超越した美しさを感じ、ぼく達はそれに近付く為に日々学んでいるのかもしれないとぼくは強く思ったのです。
というと
「美しいからなんなの?」
という人もいるでしょう。
そういう人はどうぞお帰りください。
ぼくは少なくとも、汚いより美しくありたい。
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お作法を守る基準は自分次第
さて、そうなると、どこまでが守るべきことなのか、どこから守らなくてもいいのか、という議論が意味をなさないことがわかります。
というのも、自分が美しいと思うだけのことをやればいいということになるからです。
どっち道、人によってお作法の尺度が違うのであれば、自分が美しくあれることを最低限カバーしておけばいいのだ、と。
そしてそうなると、相手にもそれを強要しなくなります。
自分が
「こうあるべきだ」
ということを強く思えば思うほど、それを相手に求めてしまう人は少なくないと思うけれど、それが
「自分が美しくあるために」
として守っていることであるならば、それを相手に求める必要はなくなるでしょう。
もちろん、そのマナーの話が例えば自分の子供の教育などのことであるならば、それは何かを伝える必要があると思いますが、
それが友達相手とかだったら別段無視して構わない。
まあクチャクチャうるさい!とかってなったら、それもまた話は別だとは思いますが(苦笑)、基本的にはみな人それぞれ自分の思うとおりの立ち振る舞いをしているのであって、それは誰かにとやかく言われる筋合いはないと思います。
そんなこと言ったらお前だってこれこれこんな風にしてるじゃん!と突っ込まれてしまいますからね。
誰にでも誰かとのズレはあるものです。
というわけで、自分が思う美しいあり方、もっと広い意味で言えば正しいあり方を求めるためにお作法を学ぶのだと、その女子高生を見てぼくは思ったのでした。
無理をする必要はないから、自分ができる範囲で構わないからやってみよう。
そしてその「できる範囲」を広げていくのが学びなのかな、と思います。
完