「考えられる」とは人間としての「強さ」論
こんにちは。
僕がブログを書く理由には、「文章を(自由に)書くのが好きという個人的な趣味である」というのもあるのですが、もう1つ大事なことがあって「思考力を高めたい」というものがあります。
何度か書いてるので、よく読んでくださる方はお馴染みの話かと思います。
じゃあなんで思考力を高めたいかと言えば、生きる上で「考える」ということは切っても切り離せないものだと思うからです。
例えば仕事をするとき、必ず頭を使って考えます。
学校で勉強をするとき、必ず頭を使って考えます。
そこで友達とお話しするとき、必ず頭を使って考えます。
家に帰って家族とお話しするとき、必ず頭を使って考えます。
ゲームをするとき、必ず頭を使って考えます。
楽器を弾くとき、必ず頭を使って考えます。
スポーツをするとき、必ず頭を使って考えます。
あれをするにもこれをするにも、僕達人間は、必ず頭を使って考えます。
「え?おれ頭なんて使わずいろいろやってるけど?」
という天才君も中にはいると思いますが、基本的に何かしらの分野で頭角を現している人というのは、その物事に対して「考えて」動いてるはずです。
実際に取り組んでるときは然ることながら、取り組んでいないときであったとしても「どうしたらもっと上手にできるだろう」「どうしたらもっとコミュニケーションが円滑になるだろう」「どうしたらもっと点数が取れるだろう」などなどと、より高みを目指すこと、そして目指す方法を考えます。
そうして思考力が高ければ高いほどに、導き出される答えが正解である可能性が高くなる。
これが思考力のないパッパラパーだと、ただ取り組んで終わりになると思います。
僕は中学生のときバスケットボール部でしたが、典型的なパッパラパーだったので、ただひたすら与えられた練習メニューをこなしていれば勝手に上手くなるだろうと思っていました。
なんなら習い事としてもバスケをしていたので、「もうこれで大丈夫」くらいに思ってました。
でもそんなことはないわけです。
それでもスタメンにはなれなかったのです。
純粋にバスケの才能がなかった、と言われればそれまでですが、でも僕としては「頭を使ってバスケをしていなかったから」と今は思ってます。
そして僕はとある分野で日本一になっていますが、そうなれた一番の理由は「考えて行動してたから」だと自負しています。
人類はどうしてこんなに発展できたのかと言ったら、脳みそが発達して考えられるようになったからです。
なんのこっちゃわからない人はぜひ『2001年宇宙の旅』の冒頭数十分のシーンでも見てもらえればと思うのですが、僕達「人間」という動物は本来生き物としての強さはありません。
強くはないんだけれど、頭を使って考えられるようになったからこそ、こうして地球でのさばることができたわけです。
要するに「考えられる」とは、生き物としての「強さ」ではあるまいか、とも思うわけです。
ともすると、頭を使ってなんぼだと思うわけで、頭が良い人ほど世界の見え方が変わると考えて間違いないであろう、と。
ましてやスマホが登場して、SNSが登場したこの時代、うつつを抜かしてる人とそうでない人の2つに分かれるとするならば、その頭の良し悪しはどんどんと差が広がり、二極化することになります。
頭が良い人ほどテクノロジーを上手に使うし、そうではない人ほどテクノロジーに使われていく。
まるでかつての僕のように、そしてこれからの僕のように。
そういうような理由で、文章を書きたい(頭を使うから)。
そしてどうせなら、読まれることを前提とした文章を書きたい(その方が効果を期待できるから)。
だからブログを書きたい。
ブログを書くことを習慣化して、考えることを日常化したい。
まだ本格的にブログを再開して日が浅いので、手探り感は否めないですが、どんどん書いて質も高めていけたらなと思います。
どうなっていくかしらね。
楽しみ。
完