ピアノを通して思う、子供の頃のあの情熱はどこへ
2020/05/20
こんにちは。
最近、まだ全然作る方までには行ってないんですが、音楽を楽しんでいます。
楽しんでるというのは、演奏だったり、鑑賞だったりですね。
特に今はピアノが楽しいんですが、実はここ最近はあまりピアノを弾いていませんでした。
どうしてかというと、ぼくアパート住まいなんですけど、電子ピアノが洋室に置いてあるんです。
でも普段生活するのはリビングになるわけですが、冬場はリビングは暖かく保たれています。
一方、洋室は暖かくないですね。
というか寒い。
寒いと入る気にならないですね。
入らないとピアノが弾けないですね。
だから弾いてなかったんですけど、もう随分暖かくなってきたので、弾くようになったのでした。
でもふと昔のことを思い出したのです。
ぼくがピアノ(正確にはエレクトーン)を弾くようになったのは小学5年生の時でしたが、その時エレクトーンというのは2階のトイレの前の廊下に置かれていました(どんな場所だ)。
当然冬場は寒いわけですけど、思えばぼくはジャンパーを着てまで、寒い中弾いていたことを思い出しました。
どんなに寒かろうが暑かろうが、なんなら指の骨が折れていようがぼくは弾くことをやめなかったのです(本当に)。
あの頃の情熱はどこへ行ってしまったのだろうか。
そんな風に思いました。
でもややもすると、これはピアノだけに限った話ではないかもしれません。
なんなら情熱がどうとかそういう話でもないかもしれません。
というのも、子供だったら雪が降ればどんなに雪が冷たかろうが雪で遊びます。
寒くたって半袖短パンで鬼ごっこをします(それはぼくだけかしら)。
どんなに暑くてどんなに汗をかこうが虫捕りをやめない。
どんなに暑くても、どんなに寒くても、どんなに目的地が遠くたって、自転車で行っちゃうあの感じ。
もしかしたらそれを情熱と言うのかもしれないけれど、ぼくは少し忍耐弱くなってしまっているような気がしてしまいます。
昔なら我慢できたことも、大人になったからなのか、あるいは世の中が便利なったからなのか、実際のところはわからないけれど、かつては許容できていたことができなくなってしまったということがいくつもあるような気がします。
もちろん成長して、反対にできるようになったこともたくさんあるけれど、夜に一人でトイレに行けるようにもなったけれど、怠惰になってしまった部分もあるのかもしれません。
じゃあその許容できなくなってしまったことを取り戻すとして、成長したからこそ許容できるようになったことも引き続き許容できるならば、それが一番いいのかもしれません。
昔は虫が平気だったのに、今は気持ち悪いとか思っちゃう。
どうして気持ち悪いって思っちゃうんだろう。
暑かったり寒かったりしたら、あんまり外に出ようという気にならない。
活発力と言えばいいのかな、あの頃の活発力はどこへいってしまったのだろうか。
そんな風に思いました。
とりあえずはまあ暖かくなってきましたので、引き続きピアノを弾き続きますけれど、これが夏になったらまた「暑いから」とか言って弾かなくなるのかな。
いっそリビングにピアノを持ってきたらいいんだろうけど、残念ながらそのスペースはない。
かと言って、窓を開けたら近所迷惑。
うーん。
多分弾かないな。
でも超楽しい。
うーん、なんか考えておこう。
完