人見知りのぼくが「コミュ力高い」と言われるまでになった会話術
2020/05/21
ところで、ぼくは人見知りなシャイボーイなわけだけれど、つい先日、後輩に
「ゆきちさんコミュ力高過ぎて話すの楽しい」
と言われました。
これはもちろん、人生で初めていただいた言葉である。
まさかこんなぼくが「コミュ力高い」なんて言われる日が来るなんて、想像だにしなかったことです。
そもそもコミュ力、もといコミュニケーション能力とは一体どんなことを言うのだろう?という定義の問題があるけれど、一旦ここでは置いておくことにします。
自他共に認める人見知りシャイボーイであるぼくが、一体どんな風にして「コミュ力高い」と言われるまでに成長したのか、というか工夫してきたのか、ということについて少し書きたいと思います。
前回に引き続き、同じようなタイプの人に何か届いたらいいなーという文章です。
ちなみにこれは、通りすがりの人に声を掛けるような技術ではなく、例えば職場に新しい人が入ってきたときなどの考え方になります。
あるいは新学期でクラス替えがあった学生とか、大学に入った人とか、ある程度これから同じ時間を共有する人が相手、という前提で聞いてもらえたらなーと思います。
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質問の定型文を作ってしまう(会話のパターン化)
まずもって、ぼくは声を掛けるのが苦手です。
例えば「そういえば昨日こんなことあったんだよ」というようなことを何気なく話してきてくれる人がいたりしますが、ぼくはこれが全くできない。
もし思い付いたとしても、そこから話を広げられる自信がないからです。
「昨日こんなことあったんだよ」
「へぇー」
で終わってしまったらどうしよう……みたいな発想になってしまうのです(まあそれでもいいんだろうけど)。
だから、のっけから自分のことを話すのはやめることにして、まず相手のことを聞くことにしました。
例えば趣味は何かとか、住まいはどこかとか、家族構成はどうだとか、学校はどこ行ってる(行ってた)だとか、そういうことを聞くようにしました。
こういうことを聞くことさえ最初はビビッてましたが、繰り返していくうちにこれらは定型文と化し、今では呼吸をするように出てくるようになったものです。
それはつまり会話がパターン化するということになるのですが、もしかしたらネガティブなイメージを持つ人もいるかもしれません。
自由性があってこその会話であろう、と。
確かにそうなのかもしれませんが、でもそれはもっと相手と仲良くなってから考えても遅くないことなので、最初のきっかけを作ることにビビッてしまうぼく等は、自分の中にきっかけパターンを持ってるくらいがいいのだと思います。
話が広がる話題と広がらない話題
しかしながら、なんでも聞けばいいということでもありません。
というのも、いろいろな質問をしていく中で気付いたのですが、これは話が広がるな、これは話が広がらないな、という話題が当然ながらあるからです。
話が広がるなと思うのは、趣味とかの、その人が率先して取り組んでいること。
広がらないなと思うのは、住まいとかの、その人の境遇のことです。
前者はある程度自分の意思が反映されるものですから、話す内容も広がりを見せます。
後者は自分の意思とは関係がない場合が多いですから、話が広がりにくいのです。
例えば仮に住まいを聞いたとして、偶然にも相手が自分と同じ団地に住んでいたとしても
「一緒じゃん!」
という話にはなっても、そこから広げにくい。
違う団地に住んでいたとしても、
「へぇーあそこらへんって中学校どこ行くの?」
「あーあそこか!確かに学校あるね!へぇー……」
という感じになって、やっぱり広げにくい。
もしかしたら地域によっては
「へぇーでもあそこらへん住みにくくない?」
とか、土地柄の話題があるかもしれませんが、ぼくが住んでる辺りはそこまで変わり映えがないので、特に聞くこともないのです。
なので、広がりやすさを考えて、前者で攻めてみるのが無難かと思います。
具体的な話の広げ方(連想)
具体的には、やっぱり趣味は鉄板です。
趣味は相手の好みが表れることですから、相手も話しやすくなりますしね。
というと
「自分の興味のない話されたらこちらからは広げられなくない?」
と思われるかもしれませんが、大丈夫、広げ方はあります。
恐らく地でコミュ力が高い人なんかは自然とこれができているのだと思いますが、ぼく達人見知りシャイボーイは後天的に意識すべきことです。
どんな広げ方かというと、ひたすら連想を繰り返すのです。
例えば突拍子もなく
「ぼくフェンシングやってるんですよ」
とか言われたら、どう思うでしょうか。
マジか、全然知識ないよ!と焦る人もきっといるでしょう。
しかしここで一旦落ち着いて、フェンシングを連想します。
全く知識がない=ルールもよくわからないわけですから=だったらルールを聞いてみたらいい!
という具合に、自分がフェンシングに対してどんなイメージを持っているかよく考えてみるわけです。
その上でどこかに疑問点はないかを探します。
ラグビーだったら、ぼくの場合アメフトとの違いをよくわかってないので、その辺りについて聞くでしょう。
絵描きだったら、昔から絵が好きなのかとか、いつから上手なのかとか、後天的に能力を伸ばすことはできるのかとか、紙に描くのとパソコンで描くのとではどちらがいいかとか、いろいろな広げ方があります。
釣りだったら、海釣りか、川釣りか、ルアーはどんなの使ってるか、ロッドはどんなのか、リールは、エサは、魚自体には詳しいのか、食べるなら何が美味しいか。
サックスだったら、音階はどこからどこまで出るのか、そもそも始めるきっかけはなんだったのか、自分のサックスを持ってるのか、どれくらい練習したら吹けるようになるものなのか。
とかとか、何か単語が出てきたときに、たくさんのことを連想できれば、いくらでも広げ方があるわけです。
もし自分でも経験があるものであるならば、より広げやすいでしょうし、経験がないものなら経験がないものなりに聞けることが山ほどある。
相手に趣味がなかった場合
時折、趣味らしい趣味がない、という人もいます。
そういうときに困ってしまう人もいると思いますが、そういうときはいよいよ自分の趣味を絡めてみます。
例えばぼくなら映画が好きなので、
「ちなみにぼくは映画が好きだけど、いくら趣味がないとは言え映画くらい観るでしょ?何か好きな映画とかないの?」
という感じで聞きます。
そうすると大体何個か映画タイトルを挙げてくれるので、それがもし自分の観たことのないものであるならば、その映画について聞く。
いつの?誰の?どんな内容なの?
観たことあるやつだったら、自分の感想を述べたり、共感したりする。
その上で
「あれが好きならこういう映画もあるよ!」
とさりげなくオススメを教える。
みたいな。
という感じで、いわゆる「話の引き出しが多い」という状態が作れれば大変望ましいわけだけれど、
知識がないならないなりに、ないものとしての立場を作ることができるので、趣味を伺うのはとてもオススメです。
というスタンス。
相性の悪いタイプ
ただ、問題点としては、これはあくまでも知識ベースのコミュ力なので、相手も人見知りシャイボーイアンドガールだとあまり効果的ではありません。
経験上、この連想スタイルを貫いたとしても、簡単に行き詰まります。
「はい」「そうです」
とか、そういう受け答えだけされると、こちらとしても連想のしようがないので、広げられなくなってしまうのです。
これがネック。
でもそうではない場合、例えば相手は緊張していてただ縮こまってるだけの場合は、この連想スタイルで結構広げられます。
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誠意を持った会話をする
で、趣味さえ聞いちゃえば、次に話す機会があったとき話しかけやすくなるのも利点です。
ぼくは自分で言うのもなんだけれど、わりと勉強熱心なので、例えばアニメを見るのが趣味の子にオススメのアニメを聞いたら、ちゃんと見ます。
で、見たら
「そういえばあれ見たよ!確かに面白かった!」
とか、感想を言ってあげるようにしています。
「あげる」というとなんだか上から目線な感じがしますが、やっぱり趣味を持つ者としては、何か自分のオススメを教えたときに、ちゃんと相手がそれに触れてくれるかというのは気になるところだと思うのです。
だし、ぼくは自分から
「何かオススメある?」
とか聞くので、自分から聞いた以上、ちゃんと見てあげるのが礼儀だとも思っています。
だし、大体
「見てくれたんですか!?」
と喜んでもらえます。
もちろん絶望的に興味がないことだったらそこまではしませんが、アニメみたいに「きっかけさえあれば見ないこともない」みたいなコンテンツであれば、誰かに聞いた何かを見るのもやぶさかではございません。
その結果、面白かったとしても、面白くなかったとしても、自分が扱える領域がまた1つ広がったということになるので、それで十分、自分の為にもなっている感覚がちゃんとあるのです。
その上面白かったら最高ですね。
そうやって、いろいろな人にいろいろな話を聞いて、それを吸収して、自分でも広げていって、どんどん知識も広がって、話の引き出しが多くなっていった結果、今の
「ゆきちさんコミュ力高い」
があるのだと思います。
ウンチク・雑学王になれということではない
最後に補足ですが、これはウンチク王になれとか、雑学王になれとかいう話ではもちろんありません。
話せることが多い方が確かにいいと思いますが、知ってることをベラベラ喋ることがコミュ力高いということではありませんからね。
自分の持ってる知識を自分なりに解釈して、それを相手と合わせて語り合うから、お互い良い気持ちで会話ができるのだと思います。
言葉のキャッチボールとはよく言ったもので、相手に投げたら投げ返してもらって、投げてもらった投げ返してあげる。
一球ずつやり取りする、ということでは決してないけれど、ある程度のバランスは必要だと思うから、余裕があればその辺りも考えたいものです。
自分のことを喋り過ぎたら「君はどう思う?」ということを語り掛けてあげる。
相手が話し出したら頃合いを見て、どこかの文脈を拾って「さっきこんなこと言ってたけど~」という感じでまた広げる。
会話は知識である必要はない。
疑問でいい。
そこから連想力が生まれる。
という感じです。
さてさて、だいぶ長くなってしまいましたが、いかがなもんでしょうか。
何かしら参考になればなと思います。
ぼくは今こんなメンタリティで生きています、ということでした。
めでたしめでたし。
完