良かれが傷付ける

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こんにちは。

僕は、正直なことを言うとファッションというものに無頓着と言いますか、そこまで気合を入れないので基本的にテキトーにしてます。

それで先日も、テキトーに選んだ服をテキトーに着こなしていたら、職場の主婦にこんなことを言われたのです。

「ゆきち君は完璧なイメージが強いから、シワシワになってる服を着てると親近感が湧く」

そう、無頓着の余り、服に老婆のようなシワができていることに気を配らせていなかったのですが、おっと話はそこじゃない。

 

「完璧」とはなんぞや、という話なのです。

 

もちろん僕は完璧ではない。

そんなことは誰に聞いてもそうなはずなのに、どういうわけか職場にはそういうイメージを持つ人が一部いる。

前に言われたのは「ゆきち君が失敗すると安心する」である。

つまり、完璧であるとされる僕が失敗をすると、人間味が見れて安心すると言うのである。

失敗して安心される、もうちょっと言うと喜ばれるなんて、それは果たして気持ちの良いものでしょうか、というと言うまでもなく、気分は良くないのが本音です。

僕だって人間ですから、あなた方が見てないであろうところで、別にいくらでも失敗をしているのである。

 

しかしながら、シワの話にしろ失敗の話にしろ、彼等彼女等はもちろん悪気はないわけです。

なんなら褒めてくれてると思うのです。

普段の行いを称えてくれていると思うのです。

 

でもそれが時折相手を傷付けることもあるのだろうし、何かを制限させてしまうこともあるのではなかろうか、などと思います。

 

話は僕が中学生の頃にさかのぼります。

僕は小学5年生の時に1年だけ器械体操を習っていたので、バック転ができました。

恐らく見渡せば多くの人ができるであろうバック転ですが、幸か不幸か、僕の学年では僕にしかできなかったのです。

だから僕は、周りから「運動神経が良い」という評価をされました。

そしてその評価は中学卒業まで続きました。

 

もちろんそんなことはない。

僕の運動神経は、良くなんてない。

なんなら僕はかなりのスロースターターなので、サッカーにしろ野球にしろ、スポーツ全般、人よりよっぽどヘタクソなところからスタートします。

にもかかわらず「運動神経が良い」という印象だけが広まってしまいました。

 

そうして僕はどうなったかというと、体育の時間、あまり目立たないように過ごすようになりました。

例えばサッカーの授業なら、あまり自分にボールが飛んでこないように立ち振る舞ったのです。

なぜかというと、もし僕にボールが飛んできて、僕がヘタクソなドリブルを披露してしまったら、もう「運動神経が良い」はなくなってしまうと思ったからです。

僕は得意なことだけを見せるようになり、得意でないことは誰にも見せないようにしました。

 

誰も悪気はない。

みんなはただバック転のできる僕を褒めてくれただけなんだけれど、僕はその褒められることが足かせになり、みんなの前で努力することができなくなってしまったのでした。

 

今振り返ればそんなことは他愛のないことで、いいから周りのことなんか気にせず自分をさらけ出してみろよな、なんて大人になった僕は中学生の僕に言いたいわけですが、それを踏まえた上で、まあでも自分も逆の立場だったら褒め方を間違ってはいけないよな、なんて思うわけです。

もし仮に僕が子供を育てることになったらば、褒め方を間違ってはいけないよなって。

もちろん友達だったり、家族だったり、先輩・後輩だったりもそう。

誰でもです。

 

そういえば、僕には尊敬する友達が幾人かいました。

それはどういう意味での尊敬なのかというと、絵が描けて、ピアノが弾けて、運動もできて、勉強もできて、人当たりも良くみんなの人気者、それこそ完璧超人みたいな子達です。

そういう類の子がクラスに一人くらいの割合でいたのですが、僕も彼等のように、絵が描けて、ピアノが弾けて、運動もできて、勉強もできて、人気者だったら良かったのだけれど、何一つ彼等に追いつくことはなかったように思います。

 

でもそんな風にずっと思っていたある日、中学の同級生何人かでの飲み会がありました。

そこに僕の尊敬する子が一人来ていたのだけれど、彼に突然こんなことを言われたのです。

「いやーでもゆきちは凄いなって思ってたよ、俺にはゆきちみたいな迷路は描けないし、ゆきちみたいにゲーム音楽も弾けないし、真似できないなって」

文脈とか言い方によっては皮肉にも聞こえるかもしれませんが、僕が直に聞いた印象としては他意はなく、しみじみ当時思ってたことを正直に話してくれている印象でした。

だから僕はそれを聞いて素直に嬉しかったし、それと同時にとても驚きました。

まさか彼にこんな風に思われていたなんて!と。

 

で、その気持ちがそのまま言葉に出ました。

「まさか○○にそんな風に思われてると思わなかった(照れ笑)」

 

しかし、その言葉を聞いた彼の顔がほんの少し歪み

「じゃあどんな風に思われてると思ってたの?」

と言われてしまいました。

 

しまった!と思い、すぐに自分は君を尊敬していたんだ!そんな君にそういう風に思ってもらえて嬉しいんだ!という気持ちを伝えて、和気をあいあいとし、事無きを得たのですが、この時も言い方には気を付けないとなと思ったのでした。

要するに「そんな風に思ってたなんて」みたいな言い方だと、少しネガティブなニュアンスに聞こえてしまう可能性があるので、この場合は「そんな風に思ってもらえてたなんて(嬉しいな)」みたいな方が適切だったな、と。

 

難しいけれど、そのニュアンスを極力間違えないようにする為にはどうすればいいかというと、世界を知ることと言葉を知ることだと思います。

世界を知らなければバランスは取れないし、言葉を知らないと気持ちは適切に伝えられない。

そういう世界観を手に入れる為に人は勉強するのだろうし、そういう世界観だからこそ楽しめる領域があって、同時に学べる領域もあるのだと思います。

 

広がった世界観がまた次の領域を開拓していく様は、人生の好循環です。

もっと早い内に気付けてたらな、と思う今日この頃です。

 

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