幸せになることが仕事という生き方

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ぐっもーにん。

ぐっもーにんの時は、スマホ投稿だと思ってください。

スマホ投稿だと文章の質は3割減です。

 

僕は昔から将来の夢みたいなものを持ったことがありませんでした。

高校生になって「バンドをやろう!」と意気込んだタイミングはあったけれど、夢かというとあれはちょっと違ったなーと今は振り返ってます。

 

それから10年以上も経ちましたが、その間自分の人生について考えることは100では足らないほどにありました。

何度も何度も考えて、自分のやりたいことってなんだろう?自分にとっての幸せってなんだろう?とずっと自分に問い続けて来ました。

 

その問いのはっきりした答えは、実はまだ出ていません。

好きなこともやりたいこともいろいろあって、そのどれかに関わっていれば概ね幸せに感じるようには思うけれど、じゃあそのどれかの専門家になって活躍する姿を想像する度に「なんか違うな」と思ってしまいます。

 

ともすると、一体自分は何の為に生きているのだろうか?と考えました。

これはネガティブな意味ではなく、自分にとっての幸せを考える上での純粋な問いです。

 

なんで僕は生きているのだろう。

 

そうやって問い続けた結果、漠然とではあるけれど、一つの考えに至りました。

 

「幸せになる(なりたい)ために生きているんだな」って。

 

逆説的だけれど、そんな風に思いました。

僕だけじゃなく、恐らく人間、というより、現代人というのは、幸せになるために生きてると思うのです。

 

「その幸せとは何かがわからないんじゃないのか」って話なのでしょうが、僕の中では一つのアハ体験でした。

何故かと言うと、幸せのために何か一つに生き方を特化しなければならないと思い込んでたからです。

何か一つに集中的に取り組んで、その分野で一流になることが幸せに繋がるのではないか、と。

 

でも生きる目的が幸せそのものであるならば、話は変わってきます。

僕にとっての幸せは、映画を観ることだったり、ゲームをすることだったり、音楽を聴いたり楽器を弾いたりすることだったり、本を読んで知識と思考力を養うことだったり、どこかに出掛けて人や自然に触れることだったりするからです。

そういうようなことそれぞれに、自分なりのペースで触れ合えればそれで十分幸せじゃないか、そういう小さいかもしれないけれど確かな幸せをしっかり感じ取ることができるならばそれでいいじゃないかと思えたのでした。

 

そして幸いなことに、その生き方が仕事になりうるのが現代の素晴らしいところだと思います。

 

つまり、僕にはブログがある。

 

僕は僕の幸せを噛み締めながら、その情報を発信していくことが更に仕事として成り立つのなら、これ以上の僕にとっての幸せな生き方はないだろうと思いました。

 

要するに、幸せになることが仕事である、と。

 

そうなったらば素敵だなって思いながら、今ブログを書いています。

 

ノシ

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