小さな幸せを噛み締めるように生きていきたい

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僕達人間には、嬉しいとか楽しいとか、もしかしたら悲しいと寂しいとか、そういう感情の上限というものがないのかもしれません。

例えば鬼ごっこをしてるだけで楽しかったあの頃は遠く懐かしく、より楽しいものを知れば知るほどに鬼ごっこでは楽しめなくなってしまう。

小さい頃に観ていたあの映画はずっと面白い映画だと思っていたけれど、いくつもの映画を観た後に観返してみると、あの頃の映画は陳腐なものに見えてしまう、なんてことがあると思います。

 

要するに、上を知れば知るほどに、下を楽しめなくなってしまうと思うんです。

例えば最高だと感じていた映画の面白さが3だったときに、それよりも面白いと思う映画が出てきてしまった。

そのときその映画の面白さは4とか5になるわけです。

更にその映画よりも面白いものを見付けたら、今度はそれが6とか7だったりする。

そうやって「あー面白いな」って思うものを見付ければ見付けるほどに、それに見劣りするものでは楽しめなくなってしまう。

もちろんこの数字は便宜上のものであり、面白さを数値化するなんてナンセンスではありますが、イメージとしてはそんなようなものであると思うのです。

 

美味しいものを知れば知るほどに、ファミレスの味が美味しくなく感じるだとか、そういうこともあるでしょう。

 

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子供は何をしていても楽しそうにしている……というか楽しむことができるわけですが、その姿は本当に幸せそうです。

良くも悪くも最高の値は軒並み低いですから、どれもこれもが新鮮で、心の底から楽しくて、幸せを感じているのだと思います。

 

一方大人は、長く生きた分だけ最高値は高く、ちょっとズレを感じるだけで文句を垂れる。

 

「これはこうじゃない」「あれはああじゃない」

 

僕も実際そういう面はあるし、気持ちは分からなくは決してないけれど、でも僕はそれが「勿体無いことなんじゃないか」と思うのです。

1だろうが10だろうが、全部を楽しめるに越したことはないだろうと。

少しの面白さにも少しでも幸せを感じることができるのであれば、それを積み重ねたらその人生は幸せなものになるんじゃないか、と思うのです。

 

それを自分から切り捨てるような態度を取るのは勿体が無い。

無理に楽しむ必要もないとは思うけれど、自ら批評的な目で物事を見る必要もない。

 

全部のものが、この世の全てのものが自分の為に作られたものだと思ったら、世界はこんなにも面白さに満ち溢れている。

そうやって世界を愛そうと思えたならば、もっと多くのことに楽しみを見出せそうなものです。

 

僕はそうやって小さな幸せを噛み締めるように生きていきたいなー。

 

なんて思ったり。

 

してます。

 

はい。

 

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