「どうして勉強しないといけないの?」という疑問に対する答えの考え

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さっき銀行に公共料金を支払いに行ったら、テレビがついていたので見てたのですが、こんな特集がされていました。

「子供にどうして勉強しなくちゃいけないの?と聞かれても答えられない」

 

こういうような話題を最近よく見かけるような気がします。

どうして最近になってよくみかけるようになったのか、もしかしたらぼくが大人になったっていうだけで、子供の頃からよく議論されていた話題だったけどそのときは見向きもしていなかった、という可能性もありますが、ぼくはそれよりも何よりも

インターネットが登場し、発達してしまった

ことが原因だと思います。

調べれば情報や知識がすぐ出てきてしまう昨今、こんなの勉強して何になるの?と。

 

もちろん先にも書いたとおり昔から子供はそんなことを思っていたわけですが、そのときの大人達の対応は

「勉強をしないと大人になって恥ずかしい思いをするぞ」

とか

「良い大学に入って良い会社に入ればお金持ちになれるぞ」

とか、そういう一応なりの説得ができたと思います。

 

でもいよいよそんな説得は通じなくて、情報・知識は気になったときに調べればいいし、良い大学に入ったからといって良い会社に入れるとも限らないし、良い会社に入ったからといって好景気でもないし、お金持ちになれるとも限らないし、リストラされる可能性だってある。

さてそんな状態で、状況で、勉強なんてして意味あるのか?

そのことは大人自身が薄々気付いていることであって、何より自分自身が子供のころ感じていた疑問そのものであって、子供に上手く諭(さと)すことができない、というのが実情だと思います。

 

それが浮き彫りになってきて、よく話題にされるから、ぼくもそれをよく目にするようになったのではないでしょうか。

 

勉強は果たして意味があるのか、ないのか。

 

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いろいろな意見があるとは思いますが、誤解を恐れず言いますと、ぼくは「意味がある」と思っています。

ただ、みんなが疑問を感じている、あるいは感じていたように、学校の勉強には「ほぼ意味がない」とも思っています。

これについてできるだけ簡単に書いていこうかしら。

 

まず最初に取り上げたいのは、ビートたけし(敬称略)の名言の一つとされるこの言葉。

勉強を教科の範囲内としてしか捉えられないなら相当頭悪いよ。哲学や論理的思考を養って人生を楽しむ、応用が利くように、あえて国語や数学って形でパッケージして教えてるんだよ

 

「勉強」とは、もうこの言葉のとおりでございます。

言葉を知って、数字を知って、歴史を知って、科学を知って、そういう知識を得ることによって人は自分なりの哲学や論理的思考を養ってたくましく生きていくんだ、と。

その全ての知識が一人の人間で一塊になってこそ意味があるのであって、それを一教科の範囲内だけで考えるなんて勿体無いし意味がないよ、と。

 

でもこういう考え方に至らない人が多いのは、試験や受験に原因があるのでしょう。

勉強を「良い点数を取って良い学校に入る手段」としか捉えられていないうちは、自分で納得することもできないし、子供に上手く説明することもできない。

 

でも勉強は、その人の人となりを形成するのに大事な営みである。

決して試験・受験の為なんかじゃない。

そこに誤解が生じがちです。

 

してともすると、円の面積を求めることに何か意味はあるのだろうか?などという疑問は当然出てきます。

二次関数とか元素記号とか世界史とか、人それぞれ思うところがあると思いますが、その覚えることどれもこれもに疑問を感じる段階が必ず出てきます。

 

そういうことには意味がない、とぼくも思います。

だから学校勉強は「ほぼ意味がない」と先程言ったのでした。

 

だから、「勉強」そのものには意味があると思っているけど、「学校勉強」となると話が変わってくる。

そんなような考えでございます。

 

「え?学校勉強じゃないならじゃあ何で勉強をするんだ?」

と思う人もいると思いますが、なんでも良いと思います。

自分の好きなこと。

マンガでも良いし映画でも良い。

ゲームでも良いし音楽でも良い。

釣りが好きなら釣りでも良いしスポーツならスポーツのことでも良い。

好きなものならなんでも良い。

好きなものならなんでも入る。

それが本来の勉強です。

 

しかしそれだと偏りが生じがちだなーと不安に思う場合は、「疑問」に対して執着を持つことが大事です。

「なぜ空は青いんだろう?」

「なぜ海は青いんだろう?」

「なぜ風は吹くのだろう?」

「なぜ月は明かり照らすの?」

「なぜボクはココにいるんだろう?」

 

おっと、いつの間にかオレンジレンジになっていた。

 

疑問を持つことと好きなことは異なるものですが、その営みには近いものがあります。

そして子供のうちは疑問がたくさんたくさんありました。

その疑問を解消させる喜びを与えてあげることが大事。

それが本来の勉強であって、子供もそれを欲するようになる。

 

決して知りたくもない事を押し付けてはいけません。

そしてそれが他でもない学校勉強のことだということを全国の親御さんに知ってほしい。

そんなことをしていては「勉強」という行為が嫌いになっても不思議ではない。

だって知りたくないんだから。

 

だから、子供が知りたいと思ったことを知らせてあげる。

もちろん全部自分が答えると、人に聞けばなんでも教えてくれるっていう考え方にもなるだろうから、自分で調べるクセも付けたいところ。

そしたら勝手に人は育つ。

 

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極論、学校なんて行かなくてもいい。

どうせ覚えない授業時間を無駄に過ごすより、自分の興味のあることをして覚えることの方がずっと有意義だし、進みも早いし、成長も早い。

 

そんなことを言うと「中学校までは義務教育だし!」なんて言われるだろうし、「少なくとも高校出ないと就職できないでしょ!」なんて言われるだろうけど、大学出ても就職が難しい昨今、あんまり深く考えても仕方がないでしょう。

むしろ「子供」という立派な成長期で、意味のない、興味のないことをだらだらと教え込むより、興味関心を理解してあげて、ググッとその子の才能を伸ばしてあげた方が魅力的に育つだろうし、大学を出た凡庸な就活生よりもずっとずっと未来があると思う。

 

だから、

「勉強に意味があるかどうか」

という議論こそが的外れであって、

「意味のある勉強と意味のない勉強がある」

というのが実際のところでしょう。

 

「ん?興味関心があるからといってその知識を得ることに意味はあるの?」

という疑問に関しては、ビートたけしの哲学云々のところで書きましたが、こちらの記事も合わせて読んでいただけるとより理解が深まるかと思います。

『2つの「頭を良くする方法」』

 

これを子供に伝えるのは難しいことかと思いますが、ご参考までに。

 

追記

補足記事書きました。

『学校の勉強に意味はないのか?』

 

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  1. 2017年 12月8日