「この人達といるとどこでも楽しいな」という気持ちで満たせたならば

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こんにちは。

例えば、この人達といるとどこでも楽しいな、と思うことがあります。

それは「どこ」によって変わるものではなく、どこでもいいんだと思います。

 

同じ風景でも同じ景色でも、隣にいる人がいつもと違うだけで、その場所はいつもと違う場所になる。

あるいは、たとえ隣にいる人がいつもと同じ人であったとしても、その人といることが楽しいと思えたり好きと思えるならば、いつも同じで馴染み深い場所なのに、それでいて特別であったりもします。

 

例えばいつもと変わらぬ下校時間でも、隣に愛しの子がいてくれたらそれだけで特別な時間です。

殺風景で退屈な仕事場も、心許した友人が一人でもいてくれたらそれだけで楽しい場所です。

 

反対に、見ただけで心震えるほどの感動を覚える絶景を目の当たりにしたとしても、隣にいる人が嫌いな人だったらその喜びは分かち合えない。

夢の国ディズニーランドでいくらはしゃいでみたって、隣にいる人が退屈そうだったらその楽しみは大幅減です。

 

ともすると、僕達はどこかへ行くことが重要なのではなく、「誰といるか」ということが何よりも大事なことであると言えるのではないでしょうか。

確かに刺激を求めていつもと違う場所に赴くこともあろうけれども、そしてそれは文字通りスパイスになるんだろうけれど、隣にいてくれる人が(友人的な意味でも恋愛的な意味でも)好きな人であるならば、どこに行かずとも横にいてくれる、だたそれだけで十分なのかもしれません。

スパイスなんかなくたって、素材の味だけで十分美味しいのです。

 

そしてその時間が人生において長ければ長いほどに、人生という長い道のりは幸せなのかもしれません。

場所とか環境とか、あるいはお金とか地位・名声とか、そういったものに楽しみや幸せを求めるのではなく、

「人生を誰と過ごすか」

そのことを考えるだけで、人生の大事な部分の大半は埋まるのかもしれませんね。

 

だってそれだけでいつでもどこでも楽しいんだから。

 

あるいはそれが「人」でなくたっていいとしたら、好きな音楽を聴くことだったり、好きな映画を観ることだったり、好きな漫画を読むことだったり、好きなスポーツをすることだったりでも、おおむね同じようなことが言えるのかもしれません。

好きだけでは得られない何かももちろんあるけれど、偏ることによる弊害ももちろんあるんだけれども、おおむねはそれで良いように思います。

 

 

ともすると、わざわざネガティブな反応を示しに行く人は、人生が不幸なのかもしれませんね。

例えばYouTubeのコメント欄とか。

「嫌いです」とわざわざコメントする時間があるならば、さっさと立ち去って嫌いではない好きなものとやらでも見てればいいのに、と思います。

人生が勿体無い。

 

そしてそれは、今まさに苦言を呈してる僕にも当てはまるので、ブーメランです。

返ってくる前によしおきましょう。

 

 

しかしながら、この話はどこかに行くという「スパイス」を否定するものではございません。

どこかに行く経験も大事だし、それを誰かと共有することもまた大事だと思います。

いわゆる「思い出」とやらがそれで、忘れないように教え合うあの時間は、何にも変えがたい。

 

思い出は時間が経って「成る」ものだから、いくつもの種を撒き散らしておきたいのもまた事実。

エピソードは情景や背景も重要ですからね。

 

さあ次は何をしようか。

 

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