更新通知をしないことにしたこととスマホを放置するようになって感じたこと
2020/08/09
お晩です。
では通知に関して少し書きます。
今頃どんな風に人に読まれてるのか皆目検討もつかないので、現状のことはわかりませんが、もしかしたら今後いろいろな人に読まれるようになる可能性があるかもしれない。
そんな夢見がちなことを考えると「更新通知」的な何かがあった方が便利なんだろうなーなんて思うわけです。
けれども、じゃあ何を使って更新をお知らせるか、という問題が出てきます。
一番簡単なのは、これまでやっていたようなTwitterによる通知です。
しかしながら、Twitterはやらない方がいい、みたいな立場の僕が自らTwitterを使い、そして周りの方々にもそれを促すようなスタイルはいかがなものか、と思うわけです。
それでは主張に一貫性が出ない。
し、やっぱり僕自身が使いたくない。
他にもLINEとかメルマガとかいろいろ考えられるのですが、同じようにいろいろ思うところがあって、結局落ち着いた考えというのが
「更新通知はしないから能動的に見に来てほしい」
という超わがままスタイルです。
というのも、仮に更新通知があるとしたならば、その通知が来るまでは少なくとも僕のブログを見に来ないわけですよね。
その通知が来る瞬間までは僕の存在を忘れているとも言えます。
そうではなく、ずっと思っててほしい(怖っ
何か書いたかな?っていう感情を持って見に来てほしい。
そうやって能動的に見に来てほしい。
これが通知ありきだと「あ、更新されたっぽいし見てみるか」という受動的なものになると思うわけです。
あと懸念されるのが、更新通知に登録した段階で満足してしまう、ということもあると思います。
つまり、一応登録しておくか、みたいな軽い気持ちで登録したものの、実際に通知が来ても結局見ない、なんてことがあると思ったわけです。
正直なところ、僕もYouTubeチャンネルとかでそういうチャンネルがある。
そういう関わり合いにはあまり深みはないように思うのです。
そしてそんな数字に振り回されたくもない。
もちろん通知がないならないで、存在を忘れられる可能性が高くなります。
いや、そもそも覚えられてもないんだから、忘れるもクソもない。
でもその時はその時かな、とも思います。
結局僕に魅力が足らなかったということなんだから、もっと面白い人間になって、もっと面白いこと書けるように努力する、というのが正しい努力の方向性のような気がします。
それにはどうしたらいいだろうか。
きっとリアルを大事に生きたらば、自ずとそうなるであろうと、僕は今のところ信じています。
のんびり心に余裕を持って、それでいてやることやって、人生精進したならば、きっとそれで十分ユニークです。
現状、大半のSNSをやめてスマホをいじらなくなってどう感じているかというと、まずいろいろなストレスがない。
ストレスがないから、なんだか知らないけれど人生の幸福度が滅茶苦茶高い。
要するにポジティブなんだけれど、ポジティブであると何でもやりたくなっちゃう。
そうすると、人生が長い。
実質的な活動時間という意味でも、精神的な意味でも。
この状態で生き続けたらどうなれるだろうかと、年甲斐もなくワクワクもする。
そして「ながら食べ」をしなくなったので、飯が上手い。
そして5日くらいスマホを充電しないで済むので電気代が浮く(笑)。
遅れたくなくて、便利に乗っかるのが時代的な生き方だとばかり思っていたけれど、そういうことじゃないんだろうな、と思うばかりです。
「自然に帰ろう」とまでは流石に思わないけれど、きっともっと本来的な生き方があるような気がする。
ちなみにアプリゲームなるものは、元々「はまったら抜け出せない」とわかってたので、絶対に手を出さないように自制しておりました。
ので、その点に関してはスマホ離れしやすかったですね。
というわけで今日はこの辺で。
ではー。
完