『スイッチを押すとき』を読んで「生」を考える
2020/11/01
後輩に小説を紹介してもらったときに、『変身』と一緒に『スイッチを押すとき』も薦められたので読んでみました。
スイッチを押すとき / 山田悠介
舞台は近未来。
自殺者数が増える一方であることに危機感を覚えたお国は、子供を無差別に複数人選んで監禁し、どういう精神状態になると人は自殺するのか、という研究を始めた。
主人公はその研究機関の監視員。
自ら死に行く子供達を前に心を痛めた主人公が動き出す。
みたいな内容。
著者の山田悠介さんいわく
「命の大事さを伝えたかった」
というだけあって、とても「生」について考えさせられる内容でした。
子供達の心臓には仕掛けがあり、ボタン一つで自ら命を断つことができるようになっているのですが、
「いつかここを出て夢を叶えるんだ」
という思いを掲げた子供達が生きながらえています。
その機関の中では何をするでもなく、ただただ閉鎖空間で無意味に時間が過ぎていくのを待つことしかできません(絵は描けるけど)。
それでも生きて、いつかここを出て、夢を叶える、それまでは絶対に死ねない、という意思の基、ギリギリの状態で生きています。
もちろん外に出ることは不可能。
どんなに長く生きても、主人公みたいな人物が現れるような事件でもない限りは、基本的に先に待っているのは「死」のみです。
生きている意味はあるんだろうか。
でもきっといつかここを出るんだ。
でもいつまで?
いつまでこんなことを続ければいいの?
本当にそんなチャンスは来るの?
という、精神は極限状態にあります。
仮に外に出て夢を叶えたとしても、いつかは国に見付かってまた捕らえられて、同じ生活を送ることになる。
夢を叶えた以上、生きる意味もなくなる。
ならば夢を持たせたまま生きた方がいいんじゃないか?
でも生きてても結局は死を待つだけ。
要するには、彼等には死しかない。
なんとも残酷な話ですね。
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でもよくよく考えると、人間誰しもが、もとい生き物であるならばなんでも、当然いつかは死にます。
いつそのタイミングが来るかはわからないけれど、いつかは来るというのは疑いのないことです。
ともすると、重要なのはその生き方になると思うのですが、ややもすると僕達は、その国に捕らわれている子供達と同じような生き方になってしまうのではないでしょうか。
無気力で、無自覚的に、その身を社会の流れに任せているようでは、本当の意味で「生きている」ということにはならないのかもしれません。
自分の立ち位置を見て、自分で望むものを理解し、自分で選択して、自分の力で生きていく。
それはとても難しいことだし、辛いこともいっぱいあるだろうけれども、同じくらい生きがいがあって、楽しいものになると思います。
単純な発想ではあるけれど、作中の「生きたい」という子供達を見て、ただ生きているだけが「生きる」ということなのではなく、自分の生きたいように生きることが本当の意味での「生」なのではないだろうか、と思いました。
まさに、生きねば。
ってなもんです。
完