ならば僕はちょうちん人間として
2020/05/19
こんばんは。
ウェブ上において、音沙汰があったりなかったり、更新が頻繁になったり少なくなったり、なんならなくなったりを繰り返しがちの僕ですが、元気です。
最近はプライベートな繋がりが強くて、そっちに意識が向きがちだったのですが、また何かやろうかなと思い立ち、懲りずに戻ってきてみました。
僕が長く抱えている悩みとして、自分のやりたいことってなんぞや?というものがあります。
生まれてこの方、いわゆる「将来の夢」と呼ばれるようなものを持ったことはただの一度もなく、幼稚園児の時に書かされた将来の夢なる欄に、危うく「星のカービィ」と書きそうになったことがあります(同じ園児の友達に全力で止められましたが)。
それは「夢」ではなく、単なる「好きなキャラ」として思い浮かんだものだったと推察します。
確か小学2年生だったと思いますが、その時にも何かでそういうことを書く欄があり、あまりにも何も思い浮かばなかったので「サラリーマン」と書いたことがあります。
その時は、家に帰って母親にそれを見せたとき「夢のない子だねぇ……」と飽きられたというエピソードがあります(後に母にそのエピソードを話したら「失言でした」と反省していましたが)。
小学校の卒業アルバムでも書かされましたが(やたら書かされるんだな)、その時は器械体操を漫画、というか兄の影響で習ったりしていたので「体操でオリンピックの金メダルを取ること」という微塵も考えていないことをそれっぽく書いておきました。
中学ではそういう話は出てこなくて、頭ぱっぱらっぱーぴーぽーなまま生きていましたが、高校で『BUMP OF CHICKEN』に憧れて、バンドマンを目指します。
それは専門学校もそういうものを選ぶほどに心に決めていたものでしたが、今振り返るとそれは単なる「憧れ」という存在であり、自分が本当になりたいという風には思っていなかったように思います。
というのも、特にそれらしい努力をしていた記憶がないからです。
本当になりたいものがあるのならば、そしてそれが本当にやりたいことであるならば、きっと自ずと体は動くものであると思います。
でも僕はそうはならなくて、ただただ学校の授業を消化する毎日であって(なんならサボったりもして)、それさえこなしていればどうにかなるんじゃないか、という非常に他力本願とでも言いましょうか、自分が努力することではなく学校がどうにかしてくれるみたいな救いようのないメンタリティで学校生活を送っていたように思います。
それから、活動していたバンドから一人メンバーが抜けて、そのバンドは自然と活動をしなくなりましたが、それはつまり、そういうことだったのでしょうね。
自分にとって本当にやりたいことであってやるべきことと感じるものであるならば、どんなことがあろうとすぐさま新たな行動を取ると思うのですが、どういうわけかそうはならなかった。
ということは、そういうことだったのでしょうね。
あれからずっと、いや、生まれてからずっと、僕は「将来の夢」「やりたいこと」などという事柄を相手に、頭を悩ませているように思います。
そして多分、突き詰めればそういう人って、実は少なくないんじゃないでしょうか。
自分が本当にやりたいことを何か一つ見付けられただけでも素晴らしいんでしょうし、それが例えば高校生中学生、なんなら小学生とか幼稚園児の段階ではっきりしたのならば、そのアドバンテージは大変にでかいことのように思います。
もちろん早くから何かに集中して打ち込むことによる何かしらの弊害みたいなものもあるとは思いますが、それがその人にとっての幸いならそれはそれで良いはずです。
ともすると、何か一つを見付けられないなら見付けられないなりの何かがあるのかもしれません。
例えば僕は、自分の情熱数値が10あるとしたならば、音楽3、映画3、ゲーム1、漫画1、写真1、読書1、みたいな割合になっています。
この数値は変動するし、もっと細かく見ればもっといろいろあるのですが、ざっくり今考えるとなんとなくこれくらいになりそうです。
だから、何か一つに突っ込んでいくことも素敵だろうけれど、こうやっていろいろなことに興味を持てるのも、まあまあ一つの強みなのかな、などとポジティブに思ったりもしたのでした。
何か一つを決めなくてはいけないのか。
僕は音楽を楽しみたいし、作りたいし、映画も観たいし、考察したいし、ゲームもしたいし、研究したいし、漫画も読みたいし、広げたいし、写真も撮りたいし、いろいろ行ってみたいし、読書もしたいし、勉強もしたい。
その時の気分できっと興味は変わるから、そしてその興味に従った方が人はきっと成長するのだろうから、一つに絞れない僕は絞れないままに生きることが正解なのかなって、思ったりもするのです。
もちろん「遊び」「趣味」ならば誰もそこに強制はしないわけですが、「将来の夢」ひいては「職業選択」みたいな話になってくると、この社会ではどうやら一つに絞る必要がありそうな雰囲気を感じます。
一つに注力できるような、いわば「スポットライトタイプ」の人ならばそれで良いのだろうけれど、僕みたいな周りを照らす「ちょうちんタイプ」の人にはそれでは少し窮屈です。
だから、ちょうちんとしての生き方を何かこのブログに残すことはできないだろうか、などという淡い期待を持って、改めて筆を取ってみた次第であります。
机上ではやるべきことが出ずに、正直ほぼ見切り発車なんだけど、しっかりとした方向性みたいなものは書きながら整えていければいいかななどと思っております。
そうすると次は何を書こうかしら?というところですぐに悩み込んでしまう、というところまで今想像が付いてるんだけれど、まあ明日には明日の風が吹くでしょう。
とりあえず気構えとしては「これでいいのだ」というバカボンのパパ的精神でやっていこうと思います。
はい。
というわけで今回はこの辺で。
ノシ
完