30年以上将来の夢が見付からなかった僕がやっと夢に気付いた話

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僕はいろいろなところで「将来の夢というものを持ったことがない」ということを口にしてきました。

それは嘘偽りのない言葉であり、幼稚園児の時に抱いた願望は「星のカービィ」だったし、小学3年生の時に描かされた「将来の自分(夢)」の僕の絵はなんの変哲もない「サラリーマン」でした。

もちろんサラリーマンになりたいとはこれっぽっちも思っていなかったのだけれど、自分の父親を見てなんとなく「そうなるのだろう」という風に抱いていただけのことだったのです。

星のカービィだって、夢というわけじゃなくて、ただ単に星のカービィが好きだったから、最初の発想にパッと出てきたのを言語化しただけなのです。

 

小学校の卒業アルバムの「将来の夢」的な作文は、当時器械体操を少しだけかじっていたので「オリンピックで器械体操の金メダルを取ること」とか、頭の片隅にすらないサラリーマン以上にテキトーな内容でした。

本当は心底何も書くことが思い浮かばなくて、うーんうーんと困り果てた末に、ある種宿題的に無理矢理作文を済ませた、というのが実際のところです。

 

夢ってなんだろうか。

自分にとっての天職とも言えるようなものってあるのだろうか。

そういう心の底から求めるものって自分にはあるのだろうか。

そんなことをずっとずっと考えていました。

 

そして考えて考えて、いつまで経っても結論が出ないまま、僕も31歳。

ある日、友達と話していたときです。

僕には「もし子供ができたらこういう子育てをしたい」という漠然とした思いがあります。

それをなんとなくその友達に話したら、彼にこういう風に言われました。

 

「その野望の為に生きてるんだね」

 

それを聞いたときに気付いたのです。

 

ああ、そうか。

 

自分は子育てがしたいんだな。

 

って。

 

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夢を夢として認識しなかった理由

この「子育て」というのは、「誰でもいいから子供を育てたい」というものではなく、「自分の子供を育てたい」というものです。

要するに「息子(娘)を育てたい」と、そんな風に思ってる自分がいることに気が付いたのです。

 

そのことに気付いて、改めて振り返ってみると、確かに高校生くらいの時にはもうそういう感情を抱いていたことを思い出しました。

例えば何か映画を観た時に、その映画が大変面白いものであった場合には、「いつかきっと子供と一緒に観よう」とかそんなことを考えていたのです。

面白いゲームがあったら、同じように「いつか子供と一緒にやりたいなー」と漠然と思っていたのです。

 

「なんだ、夢持ってるじゃん」

 

と30年以上生きて、初めて思いました。

 

じゃあどうして僕にとっての「夢」ともされる子育てが、実際に「夢」という風に僕の中で認識されてこなかったのかというと、単純明快。

「子育て」は仕事ではないからです。

自分の子供を育てることは仕事ではないからです。

 

もちろん小さい女の子なんかは、将来の夢としてピュアに「お嫁さん」と言ったりもすると思いますが、僕はそこまでピュアになれなかったのだと思います。

 

でも夢は夢じゃないか、と思いました。

やりたいことってあったんだな、って。

 

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やりたいことがわかればやるべきこともわかる

もしかして同じような人って多いのではないでしょうか。

職業だとか仕事だとか、そういうくくりで考えるとどうしても夢というものが思い付かない。

けれど、それらを度外視して考えたら、確かに自分にとってやりたいことってあったなって、僕みたいに長年夢を抱けなかった人が何かに気付くことってあるのではないでしょうか。

 

だって、人間として「やりたい」っていう感情に、現代社会で食っていけるかどうかなんて条件は入りませんからね。

今でこそ「ゲームで飯を食う」みたいなことは当たり前になってきましたが、ほんの数年前では珍しいことだったし、もっと前になると「ありえない」ことだったと思います。

きっとそのありえない時代に生まれたゲーム好きの人達にとっては、ゲームをすることは本当にやりたいことであったと思うのだけれど、職業としての「夢」にはならなかったのでしょう。

仮に学校で「将来の夢はプロゲーマーです!」なんて書いた日には、先生やら親に「何バカなこと言ってんだ!いいから勉強しろ!」と怒られていたと思います。

でもそれが今では現実的になったわけですから、そういうゲーム好きな人達にとっては本当に良い時代になったと言えるのでしょうね。

 

そんな風に、それで飯が食えるかどうかは社会によるところであって、それさえ無視することができたなら、自分の本当のやりたいことって見付かるのかもしれません。

僕にとってそれは、どうやら「子育て」だったようです。

 

ぜひ、僕のように「将来の夢」というものを抱いたことがない人や、夢が見付からず人生に迷っている人がいるようでしたら、一旦諸々全部無視して、自分の純粋な「やりたいこと」というものを意識してみてはいかがでしょうか。

そのために今頑張れることが見付かるかもしれません。

 

ノシ

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