良かれと思ったことが不幸を招くこともあるのかもしれない
2020/05/19
こんにちは。
今世間は新型コロナの話で持ちきりですが、僕も一つ、コロナそのものの話ではないのですが、絡めてふと思ったことを書かせていただこうかと思います。
なんでもアメリカでは、失業率が1%上がると自殺者が1万人増えると言われているそうです。
そして今まさに世界中で自粛、あるいは封鎖が行われていますが、それに伴ってアメリカでは失業率が6%上がるのではないか、と言われているそうです。
ともすると、最悪の場合、そのままの数字を当てはめると6万もの自殺者が増えることになります。
実際にどうなるかはもちろんわからないけれど、じゃあ仮に自粛しなかったとして、果たして新型コロナでアメリカ人が6万人も亡くなるのだろうか?という疑問が浮かびます。
と言っても、お国の事情や地域性、国民性についてはわからないし、それがわが国日本にも当てはまるのかまではわからないので、僕なんかには到底想像の付かない領域です。
だから、このまま自粛する方が被害が少ないのか、それとも自粛しない方が結果的に良いのか、というところまでは僕には言及できないのですが、今回それを通して僕が思ったのは
「良かれと思ってやったことが不幸を招くこともあるんだろうな」
ということです。
つまり、新型コロナが危険だ!みんな家にいよう!という呼び声が大変多く聞こえてきますが、もしかしたらそれが結果的に不幸を招くこともあるのかもしれない。
結果的にそっちの方が悪いことになってしまうこともあるのかもしれない。
でも誰もがそれを「良かれ」と思ってやっている、みたいな状況です。
そんな風なことを思うと、なるほど、自分の人生においてもそういうことっていくらでもあるんだろうな、と思いました。
あの時の選択が、あの時良かれと思ってやったこと、したこと、言ったこと、もしくはさせたこと、それらが悪い結果をもたらしていたかもしれない。
その瞬間は確かに良い結果を得られたとしよう、でも知らず知らずのうちに、その後のことに悪い影響を及ぼしていることもあるのでしょうね。
自分の人生を振り返ってみて、あーあの選択失敗だったよな、って思うことってパッと思い浮かばないけれど、気付かないだけでいっぱいあるかもしれない。
それこそコロナで自粛して、失業率が上がって自殺者が増えたとしても、その報道はされないかもしれない。
じゃあそのことには誰も気付かないかもしれない。
同じように、じゃあ僕の人生においても、僕が気付いていないだけかもしれない。
あの時あの子に言った言葉が、深く傷を負わせてしまったかもしれない。
あるいは言った言葉に納得してもらって、その子が何か行動を起こしたとして、その起こさせた行動によって悪い結果があったかもしれない。
当然それを僕は知る由もなく、のほほんと暮らしている。
そういうことって意外とあるんだろうなって。
選択は迫られるものです。
どっちが良いかわからないこともたくさんあります。
コロナ問題のようにどちらにも悪いことが待っていることもあると思います。
極端な話、ヒーロー映画でやるような、自分の大切な人一人と全然知らない人100人だったらどっちを救う?みたいなこともあると思います(ないか)。
まさにその選択は苦渋の決断になるわけですが、極力その選択を間違えないようにするために必要なのは、僕は知識だと思います(スパイダーマンは自力で全員救いますが)。
もちろん知識ではどうにもならないこともあるでしょうし、どうしようもないことであれば最後は自分の人生観だったり世界観、倫理観だったり正義観による選択になるのではないかと思います。
でもそれら「○○観」のどれだって、知識や経験から形成されていくものでしょう。
何も持たぬ者には客観的な良いも悪いもなく、総じて感情に動かされるものかと思います。
そして感情のみでの判断は、大体選択を誤る。
だから、いざ選択を迫られた時に間違えないように、自分なりの解を見出せるように人は勉強するのかなと思いました。
その選択をする上での判断材料という意味でもそうだし、自分なりの○○観を作るためにもそうだし。
でもまあ、IFの世界のことは決して知れないのだから、どんな決断であろうとやっぱり最後は
「これでいいのだ」
に落ち着くしかないのでしょうけれどね。
この文章にしたっていくらでも書きようがありようものですが、表現がありようなものですが
でもまあ、うん
これでいいのだ。
完