兄の子供に会ってきた!(赤ちゃんで感じる人間の不思議)

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昨日は初めて、姪にあたる兄の娘さんに会いました。

初めてというくらいですから当然赤ん坊さんで、なんならまだ2ヶ月も経っていないくらいの汚れの知らない無垢な女の子です。

 

(髪フッサフサ!)

 

ぼくも晴れて「おじさん」になったわけですが、でもご対面するまではまだまだなんともピンと来ない話だったのです。

それでいざ会ってみてどうだったかというと、

 

うん、ピンと来ないわ

 

おじさん?

 

おじさんねー。

 

あと数年もしたらぼくもお年玉とかあげなくちゃダメなのか、と考えると、なんだかおじさんっぽいなーという気はしてきますが、まだまだなんとも実感が湧かないものでした。

 

ところで、おじさんとしての実感は湧かずとしても、とっても「赤ちゃん」という存在に興味は抱きました。

というのも、話に聞くとおり、本当に止まらないんですよね。

なんというか、常にどこかが動いてて、常に何かを見ている。

大人ならばこんな動きに反応するよな、というものにも全く反応を見せず、自分が興味を抱いたものから目を離さない感じ。

人間であり、ぼくの知っている人間とはまた違う。

にもかかわらず、いずれは人間らしさに染まっていって、実に人間らしく生きるんだ。

と思うと、とても不思議に感じました。

 

これはもう10年近くぼくの頭の中で考えていることですが、人間の子供ってもし人間に育てられなければどんな風に育つんでしょうね。

例えばクモなんかは、誰に教わるでもなく生まれた瞬間自分の親をエサにしたりします。

カマキリも、交尾相手のオスを、メスが食べちゃうことがあります。

犬なんかも、メスはそのまま用を足すのに、オスは足を上げたりします。

それらは親に教わったわけでもなく、恐らく本能に従った行為になると思うのですが、果たして人間にその本能はあるのかしら?という疑問です。

 

もちろん、人間は大変学習能力が高いので、親となるそれに似通った習性を得ることになると思うので、本当の意味での本能を知ることは難しいのかもしれません。

でも、何かあるなら見てみたいよね。

 

変な話、子供は他人に自分の裸を見られても気にも留めないけれど、大人になるにつれて(特に女の人は)恥ずかしがるようになります。

これは本能によるものではなく、「人間社会で生きていくうえで裸は恥ずかしいものだ」という認識から来るものだと思うんです。

裸そのものに恥があるのではなく、社会におけるその存在に恥を感じる。

 

ともすると、ぼく達は知らず知らずに同じような社会のしがらみの中で生きているとも言えると思います。

本当はそんなことしたくないのに、あるいはこんな風にしたいのに、社会的にそれは馬鹿にされるから、あるいは怒られるからそれができない。

そんな風な中で窮屈に感じながら日々生きている人は少なくないでしょう。

 

これから生まれてくる、そして育っていく赤ちゃん・子供は、(先にも書きましたが)汚れを知らない無垢な状態です。

どう育つかはお父さんお母さん次第。

 

きっと幸せに生きられるように育つといいですね。

 

 

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  1. 2018 01.10

    ハゲそう

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