音楽の話からセオリーを学ぶことによる「生きるってなんだろう?」的な話まで

音楽の話からセオリーを学ぶことによる「生きるってなんだろう?」的な話まで

ところで、ぼくは結構ブログとかで

「音楽理論詳しい」

みたいなことを公言したことがあったと思うのですが、それはコード進行とはまた別の話になります。

 

ぼくが理解していることは、その1つ1つのコードの仕組みについてです。

例えばCコードだったらば、構成音はドミソである、というのは、もしかしたらそんなに音楽をかじったことがない人でもわかることかもしれませんね。

そこにシが入ると、コードはCM7(シーメジャーセブン)というコードになり、そこにはCコードとEmコードが混在しており、言い換えれば長三和音と短三和音が入り混じっている、明るくありながら暗い雰囲気もかもしている、なんともおしゃれなコートになるのですね。

 

それがEだったらどうだとか、Bだったらどうだとか、まあ音楽理論をかじったことがあれば誰でも理解できることではあるので、なんの自慢にもならないのですが、ぼくはそういうところに少し詳しいのです。

じゃあ7の音ではなく9だったらどうだとか、♯11だったらどうだとか、そういう話ですね。

 

音楽理論って難しいと思ってる人も多いと思うのだけれど、ぼくは面白いと思ってます。

設計図みたいなもので、書かれている音を弾けば、その曲の雰囲気がちゃんと現れる(当たり前だけど)。

昔ギターをある程度弾けるようになったときに、ぼくがピアノ(エレクトーン)を弾くきっかけになった『FINAL FANTASY V』のピアノ楽譜を引っ張り出してみて、そこに書かれてるコードを試しに弾いてみたことがあったのだけれど、

「すげー!ちゃんと音源どおりの雰囲気になってる!」

って興奮したものです(繰り返しますが、当たり前なんですけどね)。

 

英語を勉強するのとかとも似ています。

例えばコードは単語です。

それには当然読み方・発音がありますが、コードにも読み方・弾き方というものがあります。

 

しかしながら、その組み合わせ次第で、単語によっては意味が変わったりするものかと思います。

例えば「like」という単語は「好き」という意味ですが、「○○に似ている」「○○のような」みたいな意味合いもありますね。

つまり、英文法の中での前後関係によって、その言葉の意味だとかニュアンスは変わってくる、と。

 

コードも同じようなもので、そのコード単体の響きはもちろんあれど、前後関係によってそのコードの意味合いが変わってきます。

ただCコードを弾いたとしても、そのあとにDコードが来て、その次にGコードに落ち着くのだとしたら、そのCコードの役割はサブドミナンス。

でもCからFに行き、そこからGに行き、Cに落ち着くならば、そのCはトニックとしての役割です。

 

とかなんとか、いきなり専門用語を使われても意味がわからないと思いますが、要するに使われ方次第で、その響きの意味も変わってくるということです。

 

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で、ぼくはそのセオリーを毛嫌いしていたので、勉強しなかったのです、昔。

コードの意味は知っているけれど、

「好きに並べちゃえばいいじゃん」

「音楽って自由なものじゃん」

とでも思っていたわけですね。

 

でも今思うのは、セオリーを学んだ上での崩しだろう、と。

かの有名なピカソも、それはそれはもうおぞましい、決して綺麗とは言えない絵を描いていたと思いますが、初期の絵ってめちゃくちゃ上手いんですよね、実は。

だから、ピカソもセオリーと言いますか、基本は学んでいて、そういう絵を描ける上であえて独自性の強い絵を描いていたことがわかります。

 

例えばこれ、『科学と慈愛』


出典:https://www.wikiart.org/en/pablo-picasso/science-and-charity-1897

この絵はピカソ君が15歳(!)のときに描いたものなんだそうです。

 

からの『泣く女』


出典:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Picasso_The_Weeping_Woman_Tate_identifier_T05010_10.jpg

 

とても同じ人物の作品とは思えませんね。

このことからもわかるとおり、おかしなことをする人は、最初からおかしなことをしているわけではないんだ、と。

普通ができて、基本があって、セオリーを踏まえた上で、独自の世界が生まれる。

 

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ただ、その「普通」が普通とは言えない高いレベルである必要があるのかな、とも思います。

テキトーに基本を勉強して、よし!マスターしたぞ!さあ変なの作ろう!っていうのはちょっと早すぎるような気がする。

 

映画もそうだし、小説もそうだし、マンガもそうかもしれません。

仕事もそうかもしれません。

勉強もそうかもしれません。

なんでもそうかもしれません。

 

じゃあ人間の普通・基本・セオリーってなんだろうか。

動物学的な観点から見たものでしょうか。

それとも哲学的な。

あるいは心理学的な。

それとも脳科学か。

歴史学かもしれない。

地政学も。

 

その上で、じゃあ自分はどう生きますか。

そこにいたっての初めての「崩し」なのかもしれませんね。

 

うーん。

 

なんちって。