2.頭を良くしたい理由と人生の楽しみ方

2.頭を良くしたい理由と人生の楽しみ方

ところで、どうしてぼくは頭を良くしたいと思うのでしょうか(知らん

 

前回も書きましたとおり、これからまだまだ、というかどんどんと技術革新は進みますから、それに比例するようにどんどん人は苦労を知らなくなります。

例えば、洗濯機が登場して人は寒い冬も冷たい水で手を濡らす必要がなくなったように、食洗機も登場し、ルンバの類も進化したりして、少しずつ、しかし確実に労力が減っていっています。

 

インターネットにたくさん知識・情報があるわけですが、昔はそれにアクセスするにはパソコンが必要でした。

しかもそれは今よりずっと大きいのに低スペックなパソコンで、少ない情報量に、今よりも回線の遅い状態で、お金を掛けてです。

でも今は手元にあるスマートなフォンでサクサクッとアクセスできてしまいます。

膨大で、画像や動画もあって、それでいて軽々と。

 

「記憶の外部化」みたいな風にも言われますが、人は余計なことを覚えなくても良くなりました。

昔は友達の電話番号とかも覚えなくてはいけなかったのが、今は携帯電話が代わりを担ってくれています。

昔は紙にメモしたりしてたと思いますが、今はペンを取る必要もなく、文字を書く機会というのもグッと下がって、ぼく達日本人は漢字を覚えなくなっています。

それが良いか悪いかはわからないけれど、そういう流れにある。

 

移動は車。

車は自動化が進みます。

運搬も自動化が進みます。

コストが低くなります。

低くなると価格が安くなります。

価格が安くなると生活費も安くなります。

生活費が安くなると働かなくても良くなります(飛躍)。

もちろんそれがどれだけ未来のことを指しているのか、本当に実現できるのかはわかりませんが、かなり近い形の世界は現実化するとぼくは思っています。

 

さて、そうしたときに誰が勉強なんかするんだろうか。

今でさえ世の中の大半の人が勉強の意味性を問いていると思うわけですが、その傾向は更に進むはずです。

「勉強なんて意味ないじゃん」「社会に出てもなんの意味もなさないじゃん」「そもそも覚えてないじゃん」

その傾向が進むと、本当にどんどんと勉強をしなくなります。

 

一方で、勉強が大事なものだと知る人がいます。

その比率はわからないけれど、勉強不要派が大半で、勉強必要派がごくごく一部になるでしょう。

だって、人は苦労しなくて良くなるんだから、大半はそっちに流れるはずです。

 

そうするとどうなるでしょう。

今以上に頭を使わないただのアホになるか、今以上に自発的に勉強をする本当に意識の高い人になるかのどちらかになると思うんです。

そんな二極化が進むと思うんです。

 

そのときどちらに自分はいたいだろうかと考えたとき、ぼくはお勉強タイプでいたいなーと思いました。

前者でも十分生きていける世の中になると思いますが、ぼくは自分の頭で生きていきたい。

 

結果的にそれは意味ないことなのかもしれないけれど、そこに意味を問いだしたら、生きてることにも意味がなくなってしまいます。

じゃあ映画を観るのはどんな意味があるの?と言えば、面白いからとしか言いようがないように。

オタクに「それを集めてどんな意味があるの?」と言えば、楽しいからとしか言いようがないように。

 

究極的にはやることなすこと全部に意味なんてないのだから、自分がやって楽しいと感じたことをやっていくものだと思います。

ぼくは学校の勉強は大嫌いで、試験の点数も本当に酷かったけれど、自発的に自分の学びたいことを勉強することの楽しみを今は知っているし、前回書いたとおり生きてるだけで十分思い感じることはあるんだなーということも知りました。

そしてその結果、世界の見え方が変わる、いわゆる世界観というものがこんなにも変わるのかということも知りました。

 

そうするとね、どこまでも行ってみたいものですよ。

 

まだまだ見え方変わるんだと思えたら、勉強はやめられない。

図書館の本全部読んでみたいし、映画も全部観てみたいし、ゲームも全部やりたいし、音楽も全部聴きたい。

でも人生は有限で、その全てに触れることは当然叶わないですから、できるだけ自分なりに意味を感じること、あるいはより楽しいことを選ぶことになるのが実際のところですね。

 

それは、山の頂上が雲に隠れています。

でも大体あっちの方ということはわかります。

そこに向けて、景色を楽しみながら少しずつ登っていくイメージです。

時には休憩することもあるけれど、基本的には楽しみながらも一歩一歩進んでいきたい。

先の二極化の話で言えば、勉強をしなくなる人はふもとでのんびり暮らしている人です。

もちろん、便宜上「勉強」として例えていますが、勉強が人生の全てではありませんから、それぞれがそれぞれの山を登ることになるでしょう。

ぼくはこの山を登る。

君はその山を登る。

 

そうやってみんな、思い思いの山を登ることが人生の楽しみなんじゃないかなーと思います。

それには登りたい山を見付けたいところですね。

他人に言われた山を登ってる暇はない。

 

と思う。